2020年1月14日

自転車で気軽にアウトドアコーヒー

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先週末はトラベラーズファクトリー中目黒で
年始イベント。初日は恒例の福引ガチャガチャ
に振る舞いコーヒーを行った。
今回もたくさんの方にお越しいただき、
ほんとうに嬉しかったです。

このイベントは、和気あいあいとした
雰囲気の中でたくさんのお客さんとお会いし、
お話しできるので、僕らも楽しい時間を過ごす
ことができる。準備から当日もバタバタして
毎年それなりに大変ではあるんだけど、
イベントが始まると、いよいよ新しい年が
始まったなあと実感する定例行事になっている。

年始イベントとあわせて
トラベラーズファクトリー中目黒では
これも毎年恒例のコーヒー月間ということで
アアルトコーヒーさんのコーヒーのラインアップ
を拡大し、ブレンド3種にストレート豆6種の
コーヒー豆を販売している。
僕はさっそくお気に入りのマンデリンを買った。
この庄野さんがローストしてくれる深煎りの
苦味とコクが楽しめるマンデリンを飲むことも
また、僕にとってはおせち料理のように、
年始の定例行事になっている。

いつも飲んでるコーヒーも、こんな風に
ちょっとした変化があることで、毎日の暮らし
の中で新鮮な楽しみを与えてくれる。
コーヒーを飲む時間をさらに特別なものにしたい
と思って、アウトドアで飲んでみることにした。
金沢のBenlly's&Jobでアルコールバーナーを
手に入れて以来ずっと企んでいたことでもあった。

真鍮のバーナーにアルコールを詰めて、
大きいステンレス製のマグと小さいマグを用意。
さらにコーヒー豆は挽いてからジップロックに
入れて、ミルクと砂糖にスプーンとともに
小さいコーヒー缶に収納。
本当は淹れる直前に豆を挽いた方がいいんだろう
けど、今回はお手軽であることを重視した。
さらに水筒に水を入れて、それら全部をバッグに
詰めると、トラベラーズバイクに乗って家を出た。
しばらく走って、人があまりいない河川敷を
見つけると、自転車を止めた。
座ってコーヒーを飲むのにちょうど良さそうな
ベンチがあったので、そこにバッグをおろした。

バーナーに五徳をセットしてライターの火を
近づけるとボォっと炎が出た。
冷たくなった手を炎にかざしてしばらく温めると、
大きいマグに水を注いでバーナーに置いた。
このマグでお湯を沸かすのに使うのは
本来の使い方ではないのかもしれないけれど、
気軽なアウトドアコーヒーにはこれで充分。
火力がそれほど強くないアルコールバーナーは
お湯が沸くのにしばらく時間がかかる。
その間にトラベラーズファクトリーで買った
テトラコーヒードリッパーを組み立てて、
小さいマグの上に直接置いた。
このドリッパーは軽いしフラットなプレート状で
持ち歩けるのがポイント。
そしてドリッパーにペーパーフィルターを
セットして、コーヒーの粉を入れた。
家で挽いてきたけれど、まだそれほど時間が
たっていないから、ふわっと香りが広がった。
しばらくすると、大きいマグがぐつぐつと音を
たててお湯が沸いたのを教えてくれた。

軍手をつけてマグのハンドルを持ち、
ゆっくりお湯を注ぐと、コーヒーの粉が
ぶくぶくと膨らんだ。いい感じだ。
しばらく蒸らしてから、さらにお湯を注ぐ。
専用のポットみたいに少しずつお湯を垂らすのは
難しいから、粉はいつもより多め。
淹れ終わると、冷たい手を温めるように両手で
マグを握り、湯気を顔に浴びながらコーヒーを
口にした。

うん、うまくいった。美味しい。
思わずひとり笑顔になった。
川の向こうでは太陽が少しずつ高度を下げて
空をオレンジ色に染めようとしている。
それとあわせて空気は冷たさを増してきた。
僕は、微力ながらまわりの空気を温めようと
もう一度アルコールバーナーの火を灯した。
冬の河川敷に流れる凛とした冷たい空気の中で
バーナーのゆらめく炎と淹れたてのコーヒーは、
体と同時に心も温めてくれるような気がした。
今年もいろいろなことがあるだろうけど、
前を向いてがんばろう。
なんだかありきたりかもしれないけれど
僕は一杯のコーヒーを飲みながら、
素直にそんな気持ちになることができた。

自転車でのお気軽アウトドアコーヒー、
けっこうおすすめですよ。


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2020年1月 6日

Tiny Dancer

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振り返ってみると、昨年は映画館で見た映画は
わずか2本しかなかった。
他にも誰かのおすすめだったり、
何かで知って気になり見に行こうと思っていた
映画はいくつかあったのに、結局行かないまま
終わってしまった。
別にヒマがないわけじゃないんだけど、
最近はネットで予約しないといけないし、
そういう些細なことを面倒がってなんとなく
見に行くきっかけが掴めないままやり過ごして
しまうのだ。

ちなみに昨年映画館で見た2本の映画は
どっちもミュージシャンの伝記映画で、
モリッシーのザ・スミス結成以前の日々を
描いた「イングランド・イズ・マイン」に、
エルトン・ジョンの半生を描いた「ロケットマン」。

エルトン・ジョンはいつも派手な格好して
なよなよした甘いメロディーの曲を歌っている
ミュージシャンというイメージがあって、
正直に言うと昔はそれほど興味がなかった。
彼の音楽をちゃんと聴いてみようと思ったのは、
「あの頃ペニー・レインと」という映画が
きっかけだった。

「あの頃ペニー・レインと」は、簡単に言うと
音楽評論家を目指す15歳のアメリカの若者が、
あるバンドのツアーにライターとして同行する
ことになり、その旅を通じていろいろ経験
しながら成長していくという話。
70年代のロックの名曲がたっぷり流れるし、
その頃の時代のアメリカの空気感を伝えてくれる
なかなか素敵な青春映画で、最初に見たのは
ずいぶん前になるけれど、今でも大好きな作品だ。

その映画のワン・シーン。
バンドがツアーのためにバスで移動している。
長いツアーに疲れ、メンバー同士で意見の
食い違いがあったりして、車内はピリピリした
険悪な空気に満ちている。
そこにエルトン・ジョンの「タイニーダンサー」
という曲が美しいピアノの旋律とともにバスに
流れると自然とみんなが歌い出し、車内の空気が
一変。バンドが一体感を取り戻していく。
音楽の力を伝えてくれる感動的なシーンで
僕はこの曲がきっかけで、エルトン・ジョンに
興味を持つようになった。

その後調べてみると、
この「タイニーダンサー」は
エルトン・ジョンがはじめてアメリカに進出し
ツアーを成功させた時のことを歌った曲だ
ということが分かった。
タイニーダンサー(可愛いダンサー)は
その時にLAで出会った女の子のことで、
歌詞はその女の子をカリフォルニアの象徴の
ように描きながら、暗くて閉鎖的なロンドンから
自由で明るいアメリカにやってきて、そこで
温かく受け入れられた喜びを表現している。

そのことを知るとこの曲を合唱するシーンで、
バンドのメンバーたちが何を頭に浮かべながら
歌っていたのかが想像できて、映画のシーンも
この曲もさらに味わい深くなる。

「ロケットマン」に話を戻そう。
エルトン・ジョンは子供の頃からピアノの天才で、
先生が弾いていた曲を一度聴いただけで譜面も
見ないでピアノで再現できるような少年だった。
そんな彼がミュージシャンとして成功することに
なったのが、バーニー・トーピンという詩人と
出会ったことがきっかけだった。
バーニーはその後エルトンのほとんどの歌詞を
手掛けることになるのだけど、彼の文学的な詩が
エルトンにインスピレーションを与えて、
数々の美しいメロディーが生まれていった。

映画では彼らの最初のヒット曲になった
「ユア・ソング」が生まれた時の有名な
エピソードが描かれている。
エルトンの実家に居候していたバーニーが、
起きぬけに朝食を食べながらサラサラと詩を
書くと「できたよ」と言って、エルトンに渡す。
その詩に目を通すと、エルトンはピアノの前に
座ってポロポロと鍵盤をたたき、溢れるように
メロディーが生まれ、わずか10分程度で曲が
完成する。まさに2人の天才のハーモニーで
名曲が生まれたことを教えてくれるシーンだ。

この曲の歌詞は典型的なラブソングで、
「他に何もできないから歌を贈るよ。
君のために作った歌なんだよ。君がいるだけで
この世界はなんて素晴らしいんだ...」という内容。
それをバーニーがエルトンのために書く。
ゲイだったエルトンは、そんな詩を読むことで
クリエティビティを刺激されるのと同時に
バーニーをどんどん好きになっていく。
だけど悲しいかなバーニーは女が好きだから
その恋は報われない。
そんな心の葛藤や哀しみが人々を感動させる
名曲を生み出していく原動力にもなっている
のが映画を見ていくと分かる。

そんな微妙な関係ではあるのだけれど、
2人はタッグを組み続け、いよいよアメリカへ
乗り込みライブを開催する。
当時アメリカはヒッピームーブメントの最盛期で
その中心地でもあったLAの伝説的なライブハウス
でのライブを成功させる。
映画ではライブの後のパーティーのシーンがある。
バンドのメンバーやスタッフに、ファンも
加わってみんなでライブの成功を喜んでいる。
だけど成功の一番の立役者でありパーティーの
主役でもあるエルトンは深い哀しみに満ちた
表情をしている。
バーニーがパーティーに来ていた現地の女の子と
楽しそうに話をしていて、その後二人でどこかに
しけこんでしまうのだ。
その時にあの「タイニーダンサー」が流れる。

「Blue jean baby, L.A. lady
 Seamstress for the band
 And now she's in me, always with me
 Tiny dancer in my hand

 ブルージーンズの女の子、彼女はLA出身で
 バンドの衣装担当。
 そして彼女は今は僕のもの。いつも一緒。
 僕の腕に抱かれる可愛いダンサー」

「タイニーダンサー」は、バーニーの当時の
恋人でその後に結婚する女性について書かれて
いるとも言われている。
エルトン・ジョンは、愛する人がその恋人を
思って書いた詩にメロディーをつけて歌って
いるのだ。
「タイニーダンサー」の裏にそんな悲しい物語が
存在することを初めて知って、この曲がさらに
味わい深く心に響くようになった。

なんだかトラベラーズノートみたいだ。
2つの映画が「タイニーダンサー」に
さまざまな意味や物語があることを教えて
くれたように、トラベラーズノートもまた
たくさんの喜びや哀しみが刻まれることで、
その人にとって大切な存在になっていく。
ノートに書き記すことで、その意味を紐解き
大切な何かをを理解しようとしているのかも
しれないな。

さて、2020年は面倒がらずもっと映画館に
行こうと思って、まずはお正月休みに
「男はつらいよ 50」を見に行った。
ダメ人間ゆえに寅さんの一番の理解者だった
満男が、脱サラして小説家になっていることに
まずは感動した。満男は僕と同じ年に生まれ
いるし、ダメっぷりも含めて共感することが
多かったキャラクターだ。
僕もがんばらないとな。

Your Song (ロケットマンより)
Tiny Dancer(あの頃、ペニー・レインと)


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2020年1月 1日

Happy New Year 2020

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あけましておめでとうございます。
2020年になりました。
一日日付が変わっただけなんだけど、
新しい年を迎えたということでやっぱり
新鮮な気持ちになりますね。
トラベラーズノートのダイアリーリフィル
も差し替えたばかりだしね。

今年はネズミ年。
僕にとってネズミと言って思い出すのは、
ミッキーマウスでもトムとジェリーでも
ねずみ男でもなくて、ドブネズミ。
ブルーハーツの曲「リンダリンダ」の
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」
というフレーズが頭に浮かんでくる。
まだ若かりし頃、はじめてこの曲を聴いた時に
衝撃を受けて以来、このフレーズはずっと
座右の銘みたいに頭に残っている。

例えば古くて今にも壊れそうな朽ち果てた
建物を美しいと感じることがある。
人があまり歩かない路地裏にあって、
壁にはヒビが入り、色あせた看板なんかが
付いている。
窓には汚い洗濯ものが干してあり、
家の前には欠けた植木鉢がいくつも置かれ、
小さな花がけなげに咲いている。
そんな建物は、例えるならドブネズミみたいな
存在なのかもしれないけど、
最新のきらびやかにライトアップされた
高層ビルにはない美しさがある。
そこには長い間人が暮らしてきた歴史があり、
人々のリアルな喜びや哀しみが染み込んでいる。
だからこそ美しさを感じ、さらに愛着がわいたり、
感動したりするのだ。

岡本太郎が「今日の芸術」でこう書いている。

「『きれいさ』と『美しさ』は本質的には
 違ったもので、場合によってはあきらかに
 反対に意味づけられることさえある。
 『美しさ』は、たとえばきたないものにでも
 使える言葉です。みにくいものの美しさという
 ものがある。
 美しいということは厳密に言って、きれい、
 きたないという分類には、はいらないもっと
 深い意味をふくんでいるのです」

まさに「リンダリンダ」と同じことを言っている。
このドブネズミの美しさに目を向けることこそ、
トラベラーズノートが大切にしていることでも
あるのです。

永く使われたトラベラーズノートの革は、
傷やシミがついていたり、黒ずんでいたりして、
一見するとただの汚いノートだと思う人がいるかも
しれない。だけど僕らはそこに美しさを見いだす。
使う人の歴史やパーソナリティが刻まれ、
その喜びも哀しみも染み込んでいるのを感じる
からこそ、美しいと思い、愛着を持つことが
できる。

60年以上昔に建てられた古い建物に魅せられ、
そこにトラベラーズファクトリーを作ることを
決めたのも、その中に使い古された足場材を
使っているのも、あえて経年変化が起きやすい
無垢の真鍮を使ってブラスプロダクトを作った
のも全部同じ理由だ。

ドブネズミのように目立たない場所にひっそり
隠れ、もしかしたら人から忌み嫌われている
かもしれないような存在の中にも美しさを
見つけ出し、焦点を当てる。
見た目の華やかさや経済的な効率性よりも
リアルな人の想いを大切にする。
哀しみや絶望の中で見落としてしまいそうな、
ささやかな希望の兆しを見つける。

トラベラーズノートはそんな存在でありたいと
願っているし、ネズミ年だからこそもう一度、
その原点を大切にしていきたいと思う。
そんなわけで、ネットで写真を探して
ドブネズミをトラベラーズノートに描いてみた。
意外や意外、ドブネズミって
結構かわいいんですね。

2020年もトラベラーズカンパニーを
なにとぞよろしくお願いします。
みなさまにとっても素敵な1年で
ありますように。


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2019年12月23日

光る地球儀とクリスマスソング

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トラベラーズファクトリーの窓際に
ヴィンテージの地球儀が置かれている。
この地球儀は内部に電球が仕込まれていて
スイッチを入れると光るようになっている。

トラベラーズファクトリーでは、夕暮れ時
になるとこの地球儀の明かりが灯される。
だけどその時間はまだ、窓からオレンジ色の
夕日が差し込んでいるから、地球儀の光も
黄昏時のようにぼんやり控えめだ。
いや、明かりを灯したばかりだから、
こっちの地球は夜明け時なのかもしれない。
そう考えると世界が最も美しい姿を見せる、
黄昏と夜明けがいっぺんに来たみたいで嬉しい。

夕日が沈み空が暗くなるにつれて、
地球儀の光も明るさを増していく。
夜になるとアポロ17号から眺めた地球
みたいに明るく輝く。
今はクリスマスシーズンだから、
店に飾られているクリスマスツリーや
窓枠に付けられた電飾の賑やかな光が
地球儀に反射した。

ほんものの地球と違ってこっちの地球は
内側から光を発しているから世界中が明るい。
東京もニューデリーもブエノスアイレスも
世界中がいっぺんに朝になる。

僕は地球儀にある、
かつてトラベラーズノートと旅をした場所を
探しがら、その旅のことを懐かしく思い出した。
アムステルダム中央駅の雑踏、
ベルリンの崩れた壁、ロンドン橋、
ロサンゼルスのエースホテル屋上に差し込む夕日、
セントラルパークの湖畔、黄昏のヨシュアトリー、
香港スターフェリーのオイルの匂いと美しい夜景、
外灘から眺める上海テレビ塔、
台北の温かく優しい人たち、
チェンマイ、パリ、マドリード、ヘルシンキ、
ソウル、成都、京都、成田、東京...。
旅の記憶は僕の心の奥にある薄暗い部分に
柔らかい明かりを灯し、ささやかな温もりを
与えてくれた。
店内で流れるクリスマス向けのBGMが
NRBQの「Christmas Wish」に変わった。
僕が一番好きなクリスマスソングだ。

「メリー・クリスマス、メリー・クリスマス、
 1年間のすべての夢が実現する時だよね。
 クリスマスツリーの下に
 おもちゃをいっぱい見つけたんだ。
 理想の世界ってほんとうにあるんだね。
 世界中の人たちもそれを見つけることが
 できたらいいのにね。

 クリスマスの休日気分がやってくると
 魔法に包まれているような気がするんだ。
 やりたいことをやればいいんだよ。
 魔法の声がそう僕につぶやいたんだ。
 その声は天使が奏でる音楽みたいだった。
 世界中の人たちもそれを聴くことができたら
 いいのにね。
 心を開けば、僕らの願いは実現するかもね」

もうすぐクリスマス。
2019年があと少しで終わる。
1年が終わるからといって、今抱えている
たくさんの問題が片付くわけじゃないし、
心から願う夢があっさり実現するわけでもない。
やりたいことだって、うまくいかないことばかりで
もがきながら必死でなんとかやっている。
だけど、そんな哀しみや苦しみの奥底で
小さな希望はひっそりと息を潜めて隠れながら、
少しずつ育まれ、いつか花開くのを待っている
のかもしれないな。

「Christmas Wish」を聴きながら、
ぼんやり光る地球儀を眺めていると、
まるで引き出しの奥にある使い終わった
トラベラーズノートのリフィルを広げて眺める
ように、旅の記憶が蘇ってきた。

美しい風景、思いがけないトラブル、
仲間と食べた数々の美味しかったもの、
たくさんの笑顔などがフラッシュバックし、
旅先で聞いた言葉が頭の中に蘇ってきた。
「ここに来てくれてありがとう」
「ずっとこの場所に来たかったんだよ」
「このノートは僕の子供みたいなものなんだ」
「そう、この感じなんだよ!」
「きみはそのままでいいと思うよ」

旅の記憶は天使が奏でる音楽のように、
温かく僕の心を癒し、励ましてくれた。
それですべて解決するわけではないけれど
新しい旅に向かっていく勇気が湧いてきた
ような気がした。
そして今年一緒にトラベラーズの旅を
続けてきた素晴らしい仲間たちに
あらためて感謝の気持ちを伝えたいと思った。
ほんとうにありがとう!

トラベラーズノートを手にする
すべての人たちの願いが叶うといいな。
メリー・クリスマス!


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2019年12月16日

トラベラーズ米 収穫祭編

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先週末、9月に稲刈りを終えてから、
いろいろあってずっとのびのびになっていた
トラベラーズ米の収穫祭を開催した。

朝早く家を出て電車に乗り木更津駅に着くと、
まずは駅前の喫茶店でモーニングを食べた。
入り口には懐かしいネオンの看板が掲げられ、
ショーケースの中に食品サンプルのメニューが
並んでいる昔ながらの喫茶店だ。
えんじ色の絨毯にベルベットが張られた椅子、
テーブルにはボタニカル調の彫刻。
店の中央には今ではほとんど使う人がいない
であろう公衆電話が木枠の重厚な電話ボックス
とともに鎮座している。
テーブル席では地元の老人たちがそれぞれ
新聞を読んだり、タバコを吸いながら、
休日の朝の時間をゆっくり過ごしている。
僕は足を踏み入れた瞬間、そこを気に入った。

モーニングはコーヒーの他に厚切りのトースト、
サラダ、炒り卵、フライドポテトが付いて500円。
安いことだけが素晴らしいとは思わないけれど、
このクオリティでこの価格は素晴らしい。
お腹を満たすと、素敵なデザインの店のマッチで
火をつけてタバコを吸いながら、ゆっくり濃いめ
のコーヒーを味わった。
充実した気分で喫茶店を出ると、車でやってきた
仲間にピックアップしてもらい鴨川へ向かった。

鴨川ヒルズに着くと、この場所のオーナーと
石井さんが準備をしながら待っていてくれた。
収穫祭のメインメニューはもちろん
トラベラーズ米だ。
まずは慎重に水の量を計ってお米を炊いた。
サイドメニューは芋煮汁。ここではお米の他に
里芋も採ることができる。
ご飯を炊いている間に、里芋にゴボウ、舞茸、
牛肉、こんにゃく、豆腐、ネギを鍋に入れて
ぐつぐつと煮込んだ。

この日は雲ひとつない快晴。
オープンデッキにはぽかぽかした陽光が差し込み、
12月とは思えないような暖かくて気持ちのよい
天気だった。まるでこの収穫祭のために、神様が
時間を二ヶ月ほど巻き戻してくれたみたいだった。

ほかほかに炊き上がったトラベラーズ米を
茶碗によそい、芋煮汁は鍋ごとテーブルに置き
ささやかな収穫祭がはじまった。
トラベラーズ米のご飯は、新米らしい甘さと
しっとりした粘りがあって最高に美味しかった。
5月の田植えからはじまって、汗をたっぷり流し
ヘトヘトになるまでやった7月の雑草取り、
そしてこの周辺にも大きな被害を与えた台風の
直後に行った9月の稲刈り。
採れたお米は精米するとたった4.5キロしか
なかった。
だけどお米を口に入れた瞬間、すべての苦労が
報われ、ひとつのことを成し遂げた充実感に
満たされた。

もちろんお米ができるまでには、オーナーには
ずいぶん手伝ってもらったし、
仕事として農業を行う方にとっては、お遊び
みたいなことかもしれない。
それでも堂々と僕らが作ったと言うことができる
まさにトラベラーズ米と呼ぶにふさわしいお米が
できたことは、ほんとうに嬉しかった。
それに芋煮汁も完璧だったし、焚き火で焼いた
スペアリブも美味しかったな。

アウトドアで仲間たちと食べる美味しい料理。
里山の木々の匂いを感じさせる凛とした空気。
やさしく差し込み僕らを温めてくれる太陽の光は
隣に一本だけある真っ赤に染まったもみじにも
注がれ美しく反射している。
僕らはケーブルをコンセントに差し込んだ
携帯電話のように、少しずつ心のエネルギーが
チャージされ満たされていくのを感じた。

食事が終わると、冬に備えて準備するという
薪割りを手伝ったり、裏山に実っている柚子を
採ったりした。
そしてひと仕事を終えた夕暮れ時、金沢の
Benlly's&Jobで手に入れた真鍮のアルコール
バーナーでお湯を沸かしてコーヒーを淹れた。
バーナーの静かに美しくゆらめく炎に魅せられ、
お湯が沸き終わっても火を消さずに灯し続けた。
日が沈み暗くなって気温も下がってくる中で、
温かいコーヒーを飲みながら、みんなで炎を
ぼんやり眺めていた。
ゆらめく炎には、見る人の心を優しく穏やかに
してくれる不思議な力がある。
僕らは現実の様々な問題や面倒なことを
しばらく忘れて、ただ炎のゆらぎに心を任せた。
やがてアルコールが尽きて炎が消えると、
荷物をまとめて帰り支度をした。
最後に電気を消すとあたりは真っ暗になった。
ここには街灯もないし近くに他の家もない。
完全な闇の中を慎重に歩いて車に乗った。

帰りに近くにある棚田、大山千枚田が
ライトアップされているというので立ち寄った。
車を降りると、何枚も並ぶ棚田に沿って、
たくさんのLEDのキャンドルが連なって置かれ
明かりを灯しているのが見えた。
それはまるで地図に描かれた等高線のようで、
僕らは暗闇に現れた美しい光の地図を眺めながら、
幻想的な気分になった。
そういえばもうすぐクリスマスなんだな。
このライトアップが、サンタクロースが
迷うことなくプレゼントを届けるための
秘密の地図だったら素敵だな。
そんなことを心の中で思ったけど、もちろん
恥ずかしいから誰にも言わなかった。


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2019年12月 9日

金沢で襟を正す

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先週、久しぶりに金沢を旅した。
金沢は2014年のキャラバンイベント以来なので
5年ぶりの訪問。あの時は何時間もかけて車で
行ったのだけど、北陸新幹線に乗ったらわずか
2時間半。かがやき早いな。

金沢駅に着くと、まずはキャラバンイベントの
会場にもなったBenlly's & Jobへ。
ここの店主、田中さんは、僕らにとって店作り
の師匠のような存在だ。
8年前トラベラーズファクトリーができる時、
仕入れ方法から仕入れ先、ものづくりの道具
などたくさんことを田中さんに教えてもらった。
それに店と工房が一体になったこの空間は
トラベラーズファクトリーの店づくりに大きな
影響を与えてくれた。
久しぶりのBenlly's & Jobはやっぱりかっこいい。
工房にもお邪魔させていただき、
いろいろ面白い話を聞かせてもらった。
アウトドアで美味しいコーヒーを飲むための
道具について語る田中さんに影響されて、
思わず真鍮のアルコールバーナーを購入した。
新しい道具との出会いが、今まで知らなかった
楽しい世界を予感させてワクワクする。
そんな買い物をすることの一番の楽しみを
あらためて思い出させてもらいながら、
ついつい3時間以上長居してしまった。

そして翌日はコラボレーションで
トラベラーズノートのオーガナイザーなどを
作ってもらっているTO&FROの工場へ。
今回の出張では、来年春にリリースする予定の
新しいコラボレーションプロダクトの打ち合わせ
を兼ねて、工場見学をさせてもらうことになった。

TO&FROは1950年より続く老舗繊維メーカー、
カジレーネが運営するブランド。
カジレーネは、薄さや軽さを追求したり、
撥水性や通気性がある高機能の繊維を得意とし、
国内外のアウトドアブランドやアパレルブランド
にその生地を供給している。
コラボレーションアイテムも驚くほど薄くて軽い
のに丈夫で、撥水性があって、さらにやわらかい
ナチュラルな手触りが特徴のオリジナルの生地で
作られている。

工場では、ミクロン単位の原糸を紡いで
糸にする工程から見学させてもらった。
肉眼ではただの極細の1本の糸にしか見えない
けれど、顕微鏡でみると細かい繊維が微妙に
たわみながら絡まり糸になっているのがわかる。
そのたわみ方は機械で微妙に調整され、
その具合によって風合いや機能が変わるそうだ。

次の工程では、編む前に縦糸を均等に並べて
ロールに巻いていく。ずらりと何百台も並ぶ
糸巻きからそれぞれ細い糸が引かれ、ローラーに
均等に規則正しく巻き取られていく姿は、
なかなか壮観で、まるで美しい巨大なクモの巣が
できあがっていくようだった。
そして織機で横糸を通して織り生地になる。
それぞれの工程ごとに糸や織り方に問題がないか
実際に目で見ながら検査していく。
職人は細い糸で高密度に編まれた生地を
きめ細かくチェックして糸のムラなどを探し当て
てしまう。
「どこが問題なのかさっぱり分からないですよ」
と言う僕らに、「もしかしたら使うには問題ない
かもしれないけど、どうしても気になっちゃうし、
それを世に出すことはできないんだよね」と
職人らしい責任とプライドを感じさせながらも
気さくに答えてくれた。
長年の経験に裏づけされた先進的な技術と
厳しい品質管理によって培われた、まさに日本
のものづくりを象徴するような工場の姿に、
僕らは感動するとともに同じものづくりに
携わるものとして、襟を正されたような思いに
なった。

さらに、TO&FROの商品の一部は、
その専属のスタッフによって工場内で縫製も
行われている。
一本の糸から生地ができて縫製が行われ、
オーガナイザーが出来上がるまでを見ることで
僕らはそのプロダクにさらに愛着が湧いてきた。
来年春にリリースする新しいアイテムもぜひ
楽しみにしてください。


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2019年12月 2日

トラベラーズファクトリー 京都の足場板はちょっと特別だ

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1ヶ月ほど前のこと。
来年春にオープンするトラベラーズファクトリー
の現場立ち会いのために京都に向かった。
旧京都中央電話局だったレンガの建物の隣には
前回来た時にはまだ半分ほどしか見えなかった
隈研吾氏設計によるACE HOTELが、ほぼ全貌を
表していた。
僕らは早速ヘルメットを被ると、工事の仮囲い
の幕の中に入った。そして作業員たちが
せわしく動くのを邪魔にならないように歩いて、
トラベラーズファクトリーができるスペースへ
向かった。

京都中央電話局時代から受け継がれてきた
継ぎ接ぎだらけのコンクリートの柱や壁を
出来る限りそのまま残した空間は、
一見すると内装工事がはかどっているよう
には見えないかもしれない。
だけど僕らは時代を経てきた無垢の素材が
剥き出しになった空間を見て胸が高鳴った。

もちろん作業は何も進んでいないわけではなく
中目黒などでも使っている足場板が敷かれた
床の一部やカウンターができあがっていた。
数々の建築作業を経ることで黒ずんでいたり、
ペンキや錆の跡に傷などがついた足場板は、
剥き出しのコンクリートの空間に心地よい
温かみを与えていた。
「いやあ、やっぱりいいですね」
一緒に現場に立ち会ってくれたWOODPROの
社長、中本さんに思わず呟いた。

足場板は、工事現場で作業のために設置する
足場で使う板のこと。
最近は金属製のものも多くなっているけど、
関西以西を中心に、高速道路や橋梁などの
建設現場では、現在も杉の足場板が使わている。
危険な作業に使われる材料でもあるため、
通常3、4年ほど使うと現場では使えなくなる。
足場板の販売やリースを行ってきた中本さんは、
現役を終えた足場板が持つ独特の味わいに
惚れ込み、それを内装や家具などにリサイクル
すること考え、WOODPROが始まったそうだ。

僕らと中本さんが出会ったのは、
10年ほど前のあるデザインイベントで、
足場板が並ぶ姿に感動してお話を聞かせて
もらったのが最初だった。
その後トラベラーズファクトリー中目黒が
オープンする際には、僕らの希望にあわせて、
ペンキの汚れがついたり、ラフな風合いの
足場板を特別に用意してもらった。

トラベラーズファクトリー京都のオープンが
決まり、内装のイメージができあがると、
あらためて中本さんにコンタクトをした。
すると僕らが想像もしていなかった面白い
提案をいくつもしてくれた。

まずは、京都を代表するお寺の一つ、
京都東本願寺の修復に使われたという足場板を
特別に用意してくれた。
歴史ある寺の修復は、貴重な文化財を守るため
足場を組むにもかなり特別な技術を必要とする。
この足場板は、伝統の技を持つたくさんの職人の
足を支えるため、強度がある合板でできていて、
杉の足場板と風合いが違うのも面白い。
僕らはその足場板を床材として使うことにした。
強度に加え、学校の廊下のように美しく黒ずんだ
色も床にぴったりだし、東本願寺の修復工事を
支えてきた歴史を感じるのも嬉しい。

さらに、床面とモルタルの床を仕切る
カウンターには、長崎の造船所で使っていた
足場板を提案してくれた。
こちらは海に近い場所で作業してきたため、
潮風をたっぷり浴びたことで木目に沿って
削られたように荒く朽ちていたり、船を塗る
時のペンキがたっぷりついていたり、ラフで
キャラクターの強い足場板。
並んだ姿も美しく空間に馴染んでいるし、
そのさりない主張をが、新しいお店の船出を
予感させてくれた。

僕らはその空間をしみじみ眺めながら、
大正時代に建てられた歴史ある空間の中に、
美しい木の佇まいとともに、さらなる深遠な
物語が加わったことに感動した。

その後、中本さんの案内で、神社仏閣を専門に
足場を組む鳶職の会社へ行った。
この会社では現在、50年に一度という清水寺
の修繕工事のための足場組みを請負っている。

お話を聞くと、その作業は想像以上に大変な
ものだった。
文化財を傷などから守るため、
足場の骨組みには鉄パイプではなく丸太材を
使い、太いワイヤーで繋いだり、組んだりして、
足場板を載せる。そして、修復作業中の本堂を、
雨風から保護するために全体をシートで覆い、
巣屋根(すやね)と呼ばれる状態にする。

「清水の舞台から飛び降りる」というように、
斜面から突き出すように建っている清水寺は、
さらに大変で、伝統の技を受け継ぐことで
得られた特別な技術なしではできない。
日本には、歴史ある木造の神社や仏閣は今も
たくさん残っているけど、それはただあるのでは
なく、残し修繕していくための絶え間ない努力が
あって成し得ることで、そのことに誇りと責任を
持ちながら仕事をしている姿に胸を打たれた。

その後、社長のご好意で、実際に神社・仏閣の
修繕工事に使っていた足場板を譲っていただく
ことになり、その保管場所へ向かった。
そして、たくさんの足場板の中から、
特にペンキや錆の跡が強く残っていたり、
色が変色しているものを選んで、京都の店の
ために使わせていただくことになった。
これらもまたあの空間に、美しい佇まいと物語
を与えてくれるんだろうな。

最後は現在修復工事が行われている清水寺へ。
本堂は巣屋根で覆われ、その外観を見ることが
できないけれど、むしろ僕らは様々な木材で
組まれた足場の方に目が行った。
中本さんは、嬉々としながらそれぞれの足場に
ついて解説をしてくれて、ほんとうに足場板が
好きなんだなあ、とあらためて思った。
そして、その足場板に対する中本さんの愛が、
トラベラーズファクトリーに大きな魅力を
与えてくれていることに感謝した。

清水寺から眺める京都の街は、
ちょうど黄昏時で、美しい夕陽とともに
僕らの目の前に広がっていた。
京都の新しい店は、そこに関わるすべての方々
の愛の結晶のような空間になれるといいな。
少しずつ明かりを灯し始めた京都の街を
見ながら、そんなことを思った。
オープンまであと数ヶ月。
ぜひ、楽しみにしてください。


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2019年11月25日

バンドマジック

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もともと運動や団体行動が苦手だった僕は、
チームで一体感を感じながら何かを
成し遂げるという経験が乏しかった。
はじめて本当の意味でそれを実感できたのは、
大学に入学するのと同時にはじめたバンドでの
音楽活動だった。

バンドを結成すると、最初はメンバーそれぞれ
の好きな曲を持ち寄りコピーしていたけれど、
1年もするとそれにも飽きて、オリジナルの曲を
作って演奏するようになった。

メンバーはドラム、ベースにギター2人の4人。
ビートルズと同じで、誰が欠けても演奏が
成立しにくいロックバンドのスタンダードな
構成だった。

ドラム担当は、他のメンバーから比べると
頭一つ上回るテクニックを持ちながらも、
自己主張が少なく、裏方として支えることに
喜びを感じる典型的なドラマータイプ。
先輩のバンドと掛け持ちだったことに加え、
大学入学後すぐにプリンセス・プリンセスの
コピーバンドをしている女の子と付き合い
はじめたこともあって、僕らと一緒につるむ
ことが少なかった。
ちなみに彼は、その女の子と4年間ずっと
付き合い続け、卒業するとすぐに結婚した。

ベース担当は、テクニックはそれほどないけど
無理はしないタイプなので、そこそこ安定感の
あるベースを弾いた。
若い頃の石原裕次郎に似ている少し時代遅れの
二枚目ながら、どこか鈍臭いところがあって、
それゆえに愛すべきキャラクターでもあった。
彼女がいると公言していたのだけど、
その彼女はまだ1回しか会ったことがない
鳥取に住むペンフレンドで、当時彼が好きな
バンドのひとつでもあった爆風スランプの
「大きな玉ねぎの下で」を地でいっていた。
ちなみに知らない人がいるかもしれないので
一応説明しておくと、ペンフレンドとは、
手紙の交換だけで連絡を取り合う友達や恋人の
ことで、携帯電話もメールもなかった頃の風習だ。
父親が中古車販売業をしていたこともあって、
軽自動車だけどバンドで唯一自分の車を持って
いたので、よくみんなで彼の車に乗って、
学校があった八王子周辺を目的もなく走ったり
していた。

リードギター担当は、僕と高校時代からの友人
で、同じタイミングでギターをはじめたにも
かかわらず、当時、速弾きギターで知られた
エディ・ヴァンヘイレンを敬愛するヘビメタ好き
の彼と、パンクロック好きの僕との練習量の違い
なのか、持って生まれた才能の違いなのか、
たぶんその両方が理由だと思うけど、
目に見えてギターの上達のスピードが違って、
すぐに僕の技術を圧倒してしまった。
僕と違って、バンドマンのくせに学校の授業は
さぼらず、予習復習もするような真面目な性格
だったこともギター上達の理由のひとつかも
しれない。
そんなわけで必然的にリードギターは
彼が担当するようになった。
また、彼は女性にはすこぶる奥手な性格で
4年間の学生生活の中で女性にまつわる話は
聞いたことがなかった。

そしてジョー・ストラマーに憧れていた僕は、
音痴のくせにヴォーカルと、あまりうまくない
サイドギターを担当した。
人前で歌う経験なんて、それまでまったく
なかったけれど、バンドでの存在価値を
作りたかった僕は必死で声を張り上げて歌った。
ちなみに僕は、その4年間で彼女はいたことは
あったけど、手痛い失恋も経験した。

時は、80年代末のバブル全盛時代。
街ではユーロビートにサザンやユーミンが流れ、
トレンディドラマのような生活がリアリティの
あるものとしてテレビから垂れ流され、
テニスやスキーが大学生活の華だった。

そんな時代に、ロックが好きで
バンドをやろうなんていうことを考える人は、
時代の流れに乗ることができない、
劣等感と自尊心が複雑に入り混じった
ひねくれ者ばかりで、それゆえに自然に
仲間意識が生まれ、不思議に心が通じ合えた。

オリジナルの曲を作る時は、
まずは僕が部屋でひとりで頭を悩ませながら
作った曲の歌詞と、譜面なんて書けないから
コードだけをレポート用紙に書き留める。
スタジオでそのコピーをメンバーに配って、
まずはひとりで弾き語りで演奏する。
もう一度演奏すると、ドラムがリズムを刻み、
ベースやギターがフレーズを重ねていく。
それを何度か繰り返すうちに、だんだんと
曲の骨格みたいなものができあがってくる。
次の練習では、ベースラインができていたり、
かっこいいギターソロが入ったり、
さらにここでリズムパターンを変えようとか、
コーラスを入れようとか、新しいアイデアが
どんどん加わっていく。
まるで鉛筆によるラフスケッチに、輪郭が描かれ、
色彩が加わるように音楽が作られていった。
僕はその時間が大好きだった。

演奏を重ねていくと、4人のキャラクター、
技術やアイデアが、混ざり合って化学反応を
起こすことがある。その時、4人はお互いを、
一人欠けても成り立たない運命共同体のような
存在だと感じ、永遠に続くかのような高揚感と
ともに唯一無二の圧倒的なグルーブが生まれる。
まさにバンドマジックと呼ぶべき体験だった。

それを知ることができたのは、僕にとって
とても大きなことで、トラベラーズノートを
作る時から今に至るまで仕事で何かを作ると
いうことに大きな影響を与えている。
僕にとって一緒に何かを作るチームは、
バンドのようでありたいし、バンドマジックを
体感するように仕事をしたいと思っている。


ここまで書いていたら、
久しぶりにあの頃の曲を聴きたくなってきた。

それぞれ就職先も決まり、
もうすぐ大学生活が終わろうとする頃、
宅録好きの友人に頼んで、多重録音機で演奏を
録音し、カセットテープに残していた。
当時は考えられなかったけど、今ではそれを
パソコンに取り込んでCDに焼くこともできるし、
iPhoneで聴くこともできる。

あらためて聴いてみると、あの頃の心境の変化
みたいなものに気付いたりもする。
例えば、当時はまったく意識していなかったけど
手痛い失恋の前と後では歌詞のトーンが違い、
いつその曲を作ったかは覚えていなくても、
その前か後かは今ではよく分かる。
それ以前の歌詞は直接的で、どこか前のめりで
いきがっているように感じるけど、後では言葉は
より抽象的で、悲哀とともにほのかに深みを
感じさせるようになった気がする。
あの経験が、絶望とともにどんよりした鉛色の雲
となって心に暗い影を落としていったのだけど、
それは自分の人格や価値観を作ることに
少なからず影響を与えていることも分かった。

それとは別に聴いてみて思ったのは、
30年前のあの頃と今の自分がびっくりするくらい
何も変わっていないということだった。

「雲の隙間から現れては消える
 あの光はどこまで続くのか
 何度目が覚めても、何も変わってない
 自分に気づいてうろたえるだけ」

あれから30年、ギターは埃をかぶって
弦もすっかり錆びてしまっているのに、
あの頃自分が書いた歌詞に思わず共感してしまう
くらい自分は何も変わっていないことに気づいて
思わずうろたえてしまった。
いったい30年間、僕はどこに向かって旅を
してきたのだろう。
あの頃、大人はもっと心に余裕があって、
物事に動じることなく、冷静で合理的に判断し
行動するものだと思っていた。
だけど50歳になっても、パンクロックが好きで、
バンド幻想を信じているし、物事に動じやすく
心は揺さぶられっぱなしで、相変わらず
うろたえてばかり。
なんとかしたいと思ってるんだけどね。

話は変わりますが、バンドメンバー募集です。
トラベラーズファクトリー 京都の発表と
あわせてスタッフの募集も開始しています。
興味のある方はこちらをご覧ください。


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2019年11月18日

京都からはじまる新しい旅

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先週、2020年春に京都にオープンする予定の
トラベラーズファクトリーについての情報
アップしました。

8年前、トラベラーズファクトリーを中目黒に
作った時には、他にも店をオープンすること
なんてことは考えられなかった。

経験もノウハウもない、店舗運営においては
まったくの素人だった僕らは、
トラベラーズらしくということだけを頼りに、
手探りでトラベラーズファクトリーを作り、
試行錯誤を繰り返しながら運営していった。
それは想像以上に大変で手間がかかることで、
しかもそれまでやってきたものづくりなどの
仕事も同時にこなしていかなければならない。
正直に言えば、あの頃はさらに他の店を作る
ことを考える余裕なんてなかった。
ただ、自分たちの基地ができたことは、
そんな苦労を補って余りある大きな喜びを
僕らに与えてくれた。

それから2年、成田空港から店を出さないか
と声をかけられた時は、当然その時の苦労が
頭をよぎった。
だけど、空港は旅人にとって特別な場所。
不安より、空港にトラベラーズファクトリーが
あったら面白いことが起きそうだという
ワクワクするイメージがどんどん膨らみ、
エアポートの出店を決めた。
ステーションもそうだ。
東京駅への出店のお誘いをいただいた時、
飛行機に対し電車の旅の起点であり、
さらに旅人が訪れる場所であり
日常の通過点でもある東京駅に魅力を感じ、
心が動かされたから、出店を決断した。

それらが出来たことで、トラベラーズノートの
魅力は大きく広がっていると思うし、僕ら自身も
たくさんの喜びや感動を体感できている。
ただ店の運営はやっぱり大変で、
店舗が増えるごとに、僕らのやることリストは
列を連ね、苦労も増えていった。
正直に言えばステーションがオープンした後は、
もうしばらく店を作るのはやめておこうとさえ
思っていた。

その後、実際に出店のお誘いをいただくことも
何度かあったけれど、そもそも中長期の出店計画
なんてものがあるわけじゃないし、
いつも日々の仕事に追われバタバタだった僕らは、
現実的な体制が整っていないことを理由に
丁重にお断りしていた。

そんな中、コラボレーションやイベントを
通して付き合いのあるアメリカのACE HOTELが
京都にホテルをオープンするという情報とともに
隣接する施設にトラベラーズファクトリーを
出店しないかと連絡してきた。

ACE HOTELは僕らにとって特別な存在だ。
最初に泊まった時、クールで自由で親密な温かさ
を感じる空間やスタッフにすっかり魅了され、
それからずっと僕らの憧れのホテルとなった。
だからロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスに
ある彼らのホテルのロビーで、トラベラーズの
イベントを開催させてもらった時は、
例えるなら日本のインディーズバンドが、
憧れのバンドがいくつも出演しているアメリカの
伝説のライブハウスで演奏させてもらったような、
そんな高揚感を僕らは味わうことができた。

そして京都も僕らにとって特別な場所だ。
まだトラベラーズファクトリーができる前、
青山スパイラルでイベントを開催した後、
次に開催する場所として選んだのが京都だった。
それからも恵文社一乗寺店では何度かイベントを
開催しているし、京都はトラベラーズとしては
最も足を運んだ東京以外の街でもある。
恵文社一乗寺店の他にも誠光社、アンジェ、
かもがわカフェ、エレファントファクトリー
コーヒーなど、訪れたら必ず足を運ぶ好きな店
も多い。
京都は日本を代表する魅力的な旅先であるのと
同時に、トラベラーズにとって相性も良く
不思議な縁を感じる場所でもあった。

そんなこともあって、ACE HOTELから
直接トラベラーズチームのメンバーに声がかかり、
京都にできる彼らのホテルに隣接する場所に、
トラベラーズファクトリーを出さないかと
誘われたら、心が動くのは必然だった。

ACE HOTELができる施設でもある新風館は、
1926年に建てられた旧京都中央電話局の建物を
一部にそのまま残して作られるのだけど、
トラベラーズファクトリーは、その煉瓦造りの
古い建物の中にオープンする。
永い時を経てきたことが分かるコンクリートの
柱や壁などの歴史を感じる空間も僕らにとって
大きな魅力となった。

もちろん新しい店がまた増えることに加え、
今までと違って遠距離であることにも当然不安
があるし、来年春のオープンに向けて、
バタバタしてまだ手がつけられていないことも
超えなければならないハードルもたくさんある。

だけど、よくよく考えてみれば、いつだって
そうだった。
新しいことはいつも、トラベラーズノートが
導いてくれた出会いと僕らの直感によって、
必然性を伴った形ではじまるのだ。
本能が導くままに広大な海を迷うことなく
進んでいく鮭の旅のように、見えない引力に
導かれて僕らは旅を進めてきた。
そして、鮭が川の流れに逆らって全力で遡上
するように、数々の苦労を一緒に乗り越えていく
ことでチームの絆は深まり、強くなっていった。
そうやって辿り着いた新しい景色をみんなで
眺めながら感動を共有することで、
僕らの世界は大きく広がってきたのだ。

大切なのはワクワクすること。
今だって、僕ら自身がなにより京都からはじまる
トラベラーズファクトリーの新しい旅にワクワク
しているし、さらに来年の春、そのワクワクを
たくさんの人たちと分かち合えそうな予感に
心が震えている。
もちろんそのためにいろいろ大変なことは
あるけれど、そんな幸せなことを仕事にしている
ことに感謝しないといけないかもしれないな。

オープンまではもう少しありますが、
こちらでも途中経過を紹介していきたいと
思うのでぜひ楽しみにしてください。


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2019年11月11日

旅の道具

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「男はつらいよ」でおなじみのシーンがある。

例えば、寅さんが密かに恋心を抱いている女性に
恋人がいることを、ふとしたきっかけで知って
しまう。そうやって自分が失恋したことが
分かるとその瞬間、寅さんは2階の部屋にあがり、
トランクを手に降りてくる。
そして「旅に出るよ」とひとこと言って、
ぷいっと家を出る。
妹のさくらは引き止めようと追いかけるけど
「それが渡世人に辛いところよ」とか言って、
そのままテキ屋稼業の旅に出る。

その時の寅さんの旅装は簡素だ。
雪駄ばきにダボシャツ、ジャケットを
肩からひっかけ、頭には中折れ帽。
そんないつもと変わらない格好に、
荷物は片手で持てる革のトランクがひとつ。
その旅のスタイルはシンプルで一貫している。
だから思い立てば、いつでもすぐに旅立てる。

昔、寅さん記念館に行った時に、
寅さんのトランクの中身が展示されているのを
見たことがある。
中にはトイレットペーパーに蚊取り線香、うちわ、
花札、占いの本、何本かのペン、目覚まし時計、
手ぬぐい、ふんどしにシャツ、薬、便箋封筒、
髭剃りに櫛、ハサミが入っていた。

トイレットペーパーはロールのまま入っていたり
目覚まし時計がベル付きの大きめのものだったり
するのがいかにも寅さんらしい。
蚊取り線香は無人駅やバス停のベンチで寝て
夜を過ごす時に使うのだろうか。
さらに便箋と封筒は、旅先からよく便りを送る
寅さんの筆まめっぷりを想像させてくれるし、
髭剃りなどの道具はきちんと革のケースに入って
いて、身だしなみにはこだわっていた粋な人で
あったことを教えてくれる。

寅さんにとって、これらは旅の道具であるけど、
同時に展示のタイトルが示すように「全財産」
でもある。

旅の道具ってなんだろう。
例えば自分が旅に出る時のことをイメージ
してみよう。トランクを取り出して、
まずはシャツや下着などの衣類を入れていく。
次に歯ブラシに何種類かの薬、髭剃りや整髪料
などが入ったポーチ。
さらに僕は、本を数冊、カメラ、パソコンに
充電用のコンセント、そしてトラベラーズノート
に何種類かの筆記具が入ったペンケースを入れる。
だいたいそんなものだ。

どれも普段使っている道具と変わらない。
昔だったらコンパスとか双眼鏡なんかも
旅の必需品だったのかもしれないけれど、
旅が便利で簡単になった今では、旅の道具は
日常の道具でもある。
もっと言うと、手にする荷物が限られる
旅の道具は、ぎりぎりまで切り詰められた、
必要最低限の日々の道具でもある。

その選択基準はきっと人によってさまざまで、
例えば、僕は本に音楽を聞くための道具、
トラベラーズノートは欠かせないけれど、
ある人にとっては、それはラジオだったり、
ウクレレだったり、愛用の枕だったり、
一眼レフカメラとたくさんのレンズだったり、
油絵の具の画材一式だったりするかもしれない。

寅さんのトランクの中身がそうであるように
旅の道具は、その人が大切にしているものや
パーソナリティー、ライフスタイルを表すもの
でもある。

Wouldn't it be nice if each day was a step
in a journey with TRAVELER'S notebook?
トラベラーズノートとともに旅するように
毎日を過ごせたら素敵じゃないか。

先週リリースした Travel Tools コレクション
には、そんなメッセージを記している。
自分にとっての大切な日常の道具が、同時に
旅の道具でもあることを考えるとワクワクする。
旅の高揚感を日常で感じることができるし、
これらの道具を手にすれば、いつだって旅に出る
ことができると思えば、心が軽くなることだって
ある。

日々の生活を重ねていくことで、
僕らの身の回りには荷物が少しずつ増えていく。
さらに見えない荷物もまた少しずつ背中に
のしかかってくる。
もちろんそれらが与えてくれる喜びもたくさん
あるけれど、同時に重石のように体を縛り付けて
いくこともある。

Travel Tools コレクションに描かれた
旅の道具たちが、どこか懐かしくロマンチックな
イメージを想起させてくれるのは、これらの
道具とともに自由で軽快に旅をしている、
自分の在りたい姿を想像させてくれるからなの
かもしれない。

寅さんは、帰りたい時に家に帰り、
素敵な人に出会ったら思いの向くまま恋に落ち、
失恋したら潔くその人から去り、全財産でもある
旅の道具をトランクに詰めてふらっと旅に出る。
なかなか寅さんみたいにはできないけど、
そんな自由な旅にちょっと憧れる。

Remember, your suitcase is always waiting
in the corner of your room.
トランクは部屋の片隅に置かれ、いつでも
取り出せる。

活版ステッカーには、Have a nice tripと
記されたトランクの周りに、こんなメッセージ
が記されている。
早速僕は愛用しているMacBook に貼った。

旅の道具を手にすれば、いつだって旅立つこと
ができる。
ステッカーを眺めながら、かつて旅立つことが
できなかった旅人に、いつか旅立つチャンスが
やってくることを願った。


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店長のプロフィール

(株)デザインフィルでトラベラーズノートの企画を担当している飯島です。