2019年12月 2日

トラベラーズファクトリー 京都の足場板はちょっと特別だ

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1ヶ月ほど前のこと。
来年春にオープンするトラベラーズファクトリー
の現場立ち会いのために京都に向かった。
旧京都中央電話局だったレンガの建物の隣には
前回来た時にはまだ半分ほどしか見えなかった
隈研吾氏設計によるACE HOTELが、ほぼ全貌を
表していた。
僕らは早速ヘルメットを被ると、工事の仮囲い
の幕の中に入った。そして作業員たちが
せわしく動くのを邪魔にならないように歩いて、
トラベラーズファクトリーができるスペースへ
向かった。

京都中央電話局時代から受け継がれてきた
継ぎ接ぎだらけのコンクリートの柱や壁を
出来る限りそのまま残した空間は、
一見すると内装工事がはかどっているよう
には見えないかもしれない。
だけど僕らは時代を経てきた無垢の素材が
剥き出しになった空間を見て胸が高鳴った。

もちろん作業は何も進んでいないわけではなく
中目黒などでも使っている足場板が敷かれた
床の一部やカウンターができあがっていた。
数々の建築作業を経ることで黒ずんでいたり、
ペンキや錆の跡に傷などがついた足場板は、
剥き出しのコンクリートの空間に心地よい
温かみを与えていた。
「いやあ、やっぱりいいですね」
一緒に現場に立ち会ってくれたWOODPROの
社長、中本さんに思わず呟いた。

足場板は、工事現場で作業のために設置する
足場で使う板のこと。
最近は金属製のものも多くなっているけど、
関西以西を中心に、高速道路や橋梁などの
建設現場では、現在も杉の足場板が使わている。
危険な作業に使われる材料でもあるため、
通常3、4年ほど使うと現場では使えなくなる。
足場板の販売やリースを行ってきた中本さんは、
現役を終えた足場板が持つ独特の味わいに
惚れ込み、それを内装や家具などにリサイクル
すること考え、WOODPROが始まったそうだ。

僕らと中本さんが出会ったのは、
10年ほど前のあるデザインイベントで、
足場板が並ぶ姿に感動してお話を聞かせて
もらったのが最初だった。
その後トラベラーズファクトリー中目黒が
オープンする際には、僕らの希望にあわせて、
ペンキの汚れがついたり、ラフな風合いの
足場板を特別に用意してもらった。

トラベラーズファクトリー京都のオープンが
決まり、内装のイメージができあがると、
あらためて中本さんにコンタクトをした。
すると僕らが想像もしていなかった面白い
提案をいくつもしてくれた。

まずは、京都を代表するお寺の一つ、
京都東本願寺の修復に使われたという足場板を
特別に用意してくれた。
歴史ある寺の修復は、貴重な文化財を守るため
足場を組むにもかなり特別な技術を必要とする。
この足場板は、伝統の技を持つたくさんの職人の
足を支えるため、強度がある合板でできていて、
杉の足場板と風合いが違うのも面白い。
僕らはその足場板を床材として使うことにした。
強度に加え、学校の廊下のように美しく黒ずんだ
色も床にぴったりだし、東本願寺の修復工事を
支えてきた歴史を感じるのも嬉しい。

さらに、床面とモルタルの床を仕切る
カウンターには、長崎の造船所で使っていた
足場板を提案してくれた。
こちらは海に近い場所で作業してきたため、
潮風をたっぷり浴びたことで木目に沿って
削られたように荒く朽ちていたり、船を塗る
時のペンキがたっぷりついていたり、ラフで
キャラクターの強い足場板。
並んだ姿も美しく空間に馴染んでいるし、
そのさりない主張をが、新しいお店の船出を
予感させてくれた。

僕らはその空間をしみじみ眺めながら、
大正時代に建てられた歴史ある空間の中に、
美しい木の佇まいとともに、さらなる深遠な
物語が加わったことに感動した。

その後、中本さんの案内で、神社仏閣を専門に
足場を組む鳶職の会社へ行った。
この会社では現在、50年に一度という清水寺
の修繕工事のための足場組みを請負っている。

お話を聞くと、その作業は想像以上に大変な
ものだった。
文化財を傷などから守るため、
足場の骨組みには鉄パイプではなく丸太材を
使い、太いワイヤーで繋いだり、組んだりして、
足場板を載せる。そして、修復作業中の本堂を、
雨風から保護するために全体をシートで覆い、
巣屋根(すやね)と呼ばれる状態にする。

「清水の舞台から飛び降りる」というように、
斜面から突き出すように建っている清水寺は、
さらに大変で、伝統の技を受け継ぐことで
得られた特別な技術なしではできない。
日本には、歴史ある木造の神社や仏閣は今も
たくさん残っているけど、それはただあるのでは
なく、残し修繕していくための絶え間ない努力が
あって成し得ることで、そのことに誇りと責任を
持ちながら仕事をしている姿に胸を打たれた。

その後、社長のご好意で、実際に神社・仏閣の
修繕工事に使っていた足場板を譲っていただく
ことになり、その保管場所へ向かった。
そして、たくさんの足場板の中から、
特にペンキや錆の跡が強く残っていたり、
色が変色しているものを選んで、京都の店の
ために使わせていただくことになった。
これらもまたあの空間に、美しい佇まいと物語
を与えてくれるんだろうな。

最後は現在修復工事が行われている清水寺へ。
本堂は巣屋根で覆われ、その外観を見ることが
できないけれど、むしろ僕らは様々な木材で
組まれた足場の方に目が行った。
中本さんは、嬉々としながらそれぞれの足場に
ついて解説をしてくれて、ほんとうに足場板が
好きなんだなあ、とあらためて思った。
そして、その足場板に対する中本さんの愛が、
トラベラーズファクトリーに大きな魅力を
与えてくれていることに感謝した。

清水寺から眺める京都の街は、
ちょうど黄昏時で、美しい夕陽とともに
僕らの目の前に広がっていた。
京都の新しい店は、そこに関わるすべての方々
の愛の結晶のような空間になれるといいな。
少しずつ明かりを灯し始めた京都の街を
見ながら、そんなことを思った。
オープンまであと数ヶ月。
ぜひ、楽しみにしてください。


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2019年11月25日

バンドマジック

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もともと運動や団体行動が苦手だった僕は、
チームで一体感を感じながら何かを
成し遂げるという経験が乏しかった。
はじめて本当の意味でそれを実感できたのは、
大学に入学するのと同時にはじめたバンドでの
音楽活動だった。

バンドを結成すると、最初はメンバーそれぞれ
の好きな曲を持ち寄りコピーしていたけれど、
1年もするとそれにも飽きて、オリジナルの曲を
作って演奏するようになった。

メンバーはドラム、ベースにギター2人の4人。
ビートルズと同じで、誰が欠けても演奏が
成立しにくいロックバンドのスタンダードな
構成だった。

ドラム担当は、他のメンバーから比べると
頭一つ上回るテクニックを持ちながらも、
自己主張が少なく、裏方として支えることに
喜びを感じる典型的なドラマータイプ。
先輩のバンドと掛け持ちだったことに加え、
大学入学後すぐにプリンセス・プリンセスの
コピーバンドをしている女の子と付き合い
はじめたこともあって、僕らと一緒につるむ
ことが少なかった。
ちなみに彼は、その女の子と4年間ずっと
付き合い続け、卒業するとすぐに結婚した。

ベース担当は、テクニックはそれほどないけど
無理はしないタイプなので、そこそこ安定感の
あるベースを弾いた。
若い頃の石原裕次郎に似ている少し時代遅れの
二枚目ながら、どこか鈍臭いところがあって、
それゆえに愛すべきキャラクターでもあった。
彼女がいると公言していたのだけど、
その彼女はまだ1回しか会ったことがない
鳥取に住むペンフレンドで、当時彼が好きな
バンドのひとつでもあった爆風スランプの
「大きな玉ねぎの下で」を地でいっていた。
ちなみに知らない人がいるかもしれないので
一応説明しておくと、ペンフレンドとは、
手紙の交換だけで連絡を取り合う友達や恋人の
ことで、携帯電話もメールもなかった頃の風習だ。
父親が中古車販売業をしていたこともあって、
軽自動車だけどバンドで唯一自分の車を持って
いたので、よくみんなで彼の車に乗って、
学校があった八王子周辺を目的もなく走ったり
していた。

リードギター担当は、僕と高校時代からの友人
で、同じタイミングでギターをはじめたにも
かかわらず、当時、速弾きギターで知られた
エディ・ヴァンヘイレンを敬愛するヘビメタ好き
の彼と、パンクロック好きの僕との練習量の違い
なのか、持って生まれた才能の違いなのか、
たぶんその両方が理由だと思うけど、
目に見えてギターの上達のスピードが違って、
すぐに僕の技術を圧倒してしまった。
僕と違って、バンドマンのくせに学校の授業は
さぼらず、予習復習もするような真面目な性格
だったこともギター上達の理由のひとつかも
しれない。
そんなわけで必然的にリードギターは
彼が担当するようになった。
また、彼は女性にはすこぶる奥手な性格で
4年間の学生生活の中で女性にまつわる話は
聞いたことがなかった。

そしてジョー・ストラマーに憧れていた僕は、
音痴のくせにヴォーカルと、あまりうまくない
サイドギターを担当した。
人前で歌う経験なんて、それまでまったく
なかったけれど、バンドでの存在価値を
作りたかった僕は必死で声を張り上げて歌った。
ちなみに僕は、その4年間で彼女はいたことは
あったけど、手痛い失恋も経験した。

時は、80年代末のバブル全盛時代。
街ではユーロビートにサザンやユーミンが流れ、
トレンディドラマのような生活がリアリティの
あるものとしてテレビから垂れ流され、
テニスやスキーが大学生活の華だった。

そんな時代に、ロックが好きで
バンドをやろうなんていうことを考える人は、
時代の流れに乗ることができない、
劣等感と自尊心が複雑に入り混じった
ひねくれ者ばかりで、それゆえに自然に
仲間意識が生まれ、不思議に心が通じ合えた。

オリジナルの曲を作る時は、
まずは僕が部屋でひとりで頭を悩ませながら
作った曲の歌詞と、譜面なんて書けないから
コードだけをレポート用紙に書き留める。
スタジオでそのコピーをメンバーに配って、
まずはひとりで弾き語りで演奏する。
もう一度演奏すると、ドラムがリズムを刻み、
ベースやギターがフレーズを重ねていく。
それを何度か繰り返すうちに、だんだんと
曲の骨格みたいなものができあがってくる。
次の練習では、ベースラインができていたり、
かっこいいギターソロが入ったり、
さらにここでリズムパターンを変えようとか、
コーラスを入れようとか、新しいアイデアが
どんどん加わっていく。
まるで鉛筆によるラフスケッチに、輪郭が描かれ、
色彩が加わるように音楽が作られていった。
僕はその時間が大好きだった。

演奏を重ねていくと、4人のキャラクター、
技術やアイデアが、混ざり合って化学反応を
起こすことがある。その時、4人はお互いを、
一人欠けても成り立たない運命共同体のような
存在だと感じ、永遠に続くかのような高揚感と
ともに唯一無二の圧倒的なグルーブが生まれる。
まさにバンドマジックと呼ぶべき体験だった。

それを知ることができたのは、僕にとって
とても大きなことで、トラベラーズノートを
作る時から今に至るまで仕事で何かを作ると
いうことに大きな影響を与えている。
僕にとって一緒に何かを作るチームは、
バンドのようでありたいし、バンドマジックを
体感するように仕事をしたいと思っている。


ここまで書いていたら、
久しぶりにあの頃の曲を聴きたくなってきた。

それぞれ就職先も決まり、
もうすぐ大学生活が終わろうとする頃、
宅録好きの友人に頼んで、多重録音機で演奏を
録音し、カセットテープに残していた。
当時は考えられなかったけど、今ではそれを
パソコンに取り込んでCDに焼くこともできるし、
iPhoneで聴くこともできる。

あらためて聴いてみると、あの頃の心境の変化
みたいなものに気付いたりもする。
例えば、当時はまったく意識していなかったけど
手痛い失恋の前と後では歌詞のトーンが違い、
いつその曲を作ったかは覚えていなくても、
その前か後かは今ではよく分かる。
それ以前の歌詞は直接的で、どこか前のめりで
いきがっているように感じるけど、後では言葉は
より抽象的で、悲哀とともにほのかに深みを
感じさせるようになった気がする。
あの経験が、絶望とともにどんよりした鉛色の雲
となって心に暗い影を落としていったのだけど、
それは自分の人格や価値観を作ることに
少なからず影響を与えていることも分かった。

それとは別に聴いてみて思ったのは、
30年前のあの頃と今の自分がびっくりするくらい
何も変わっていないということだった。

「雲の隙間から現れては消える
 あの光はどこまで続くのか
 何度目が覚めても、何も変わってない
 自分に気づいてうろたえるだけ」

あれから30年、ギターは埃をかぶって
弦もすっかり錆びてしまっているのに、
あの頃自分が書いた歌詞に思わず共感してしまう
くらい自分は何も変わっていないことに気づいて
思わずうろたえてしまった。
いったい30年間、僕はどこに向かって旅を
してきたのだろう。
あの頃、大人はもっと心に余裕があって、
物事に動じることなく、冷静で合理的に判断し
行動するものだと思っていた。
だけど50歳になっても、パンクロックが好きで、
バンド幻想を信じているし、物事に動じやすく
心は揺さぶられっぱなしで、相変わらず
うろたえてばかり。
なんとかしたいと思ってるんだけどね。

話は変わりますが、バンドメンバー募集です。
トラベラーズファクトリー 京都の発表と
あわせてスタッフの募集も開始しています。
興味のある方はこちらをご覧ください。


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2019年11月18日

京都からはじまる新しい旅

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先週、2020年春に京都にオープンする予定の
トラベラーズファクトリーについての情報
アップしました。

8年前、トラベラーズファクトリーを中目黒に
作った時には、他にも店をオープンすること
なんてことは考えられなかった。

経験もノウハウもない、店舗運営においては
まったくの素人だった僕らは、
トラベラーズらしくということだけを頼りに、
手探りでトラベラーズファクトリーを作り、
試行錯誤を繰り返しながら運営していった。
それは想像以上に大変で手間がかかることで、
しかもそれまでやってきたものづくりなどの
仕事も同時にこなしていかなければならない。
正直に言えば、あの頃はさらに他の店を作る
ことを考える余裕なんてなかった。
ただ、自分たちの基地ができたことは、
そんな苦労を補って余りある大きな喜びを
僕らに与えてくれた。

それから2年、成田空港から店を出さないか
と声をかけられた時は、当然その時の苦労が
頭をよぎった。
だけど、空港は旅人にとって特別な場所。
不安より、空港にトラベラーズファクトリーが
あったら面白いことが起きそうだという
ワクワクするイメージがどんどん膨らみ、
エアポートの出店を決めた。
ステーションもそうだ。
東京駅への出店のお誘いをいただいた時、
飛行機に対し電車の旅の起点であり、
さらに旅人が訪れる場所であり
日常の通過点でもある東京駅に魅力を感じ、
心が動かされたから、出店を決断した。

それらが出来たことで、トラベラーズノートの
魅力は大きく広がっていると思うし、僕ら自身も
たくさんの喜びや感動を体感できている。
ただ店の運営はやっぱり大変で、
店舗が増えるごとに、僕らのやることリストは
列を連ね、苦労も増えていった。
正直に言えばステーションがオープンした後は、
もうしばらく店を作るのはやめておこうとさえ
思っていた。

その後、実際に出店のお誘いをいただくことも
何度かあったけれど、そもそも中長期の出店計画
なんてものがあるわけじゃないし、
いつも日々の仕事に追われバタバタだった僕らは、
現実的な体制が整っていないことを理由に
丁重にお断りしていた。

そんな中、コラボレーションやイベントを
通して付き合いのあるアメリカのACE HOTELが
京都にホテルをオープンするという情報とともに
隣接する施設にトラベラーズファクトリーを
出店しないかと連絡してきた。

ACE HOTELは僕らにとって特別な存在だ。
最初に泊まった時、クールで自由で親密な温かさ
を感じる空間やスタッフにすっかり魅了され、
それからずっと僕らの憧れのホテルとなった。
だからロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスに
ある彼らのホテルのロビーで、トラベラーズの
イベントを開催させてもらった時は、
例えるなら日本のインディーズバンドが、
憧れのバンドがいくつも出演しているアメリカの
伝説のライブハウスで演奏させてもらったような、
そんな高揚感を僕らは味わうことができた。

そして京都も僕らにとって特別な場所だ。
まだトラベラーズファクトリーができる前、
青山スパイラルでイベントを開催した後、
次に開催する場所として選んだのが京都だった。
それからも恵文社一乗寺店では何度かイベントを
開催しているし、京都はトラベラーズとしては
最も足を運んだ東京以外の街でもある。
恵文社一乗寺店の他にも誠光社、アンジェ、
かもがわカフェ、エレファントファクトリー
コーヒーなど、訪れたら必ず足を運ぶ好きな店
も多い。
京都は日本を代表する魅力的な旅先であるのと
同時に、トラベラーズにとって相性も良く
不思議な縁を感じる場所でもあった。

そんなこともあって、ACE HOTELから
直接トラベラーズチームのメンバーに声がかかり、
京都にできる彼らのホテルに隣接する場所に、
トラベラーズファクトリーを出さないかと
誘われたら、心が動くのは必然だった。

ACE HOTELができる施設でもある新風館は、
1926年に建てられた旧京都中央電話局の建物を
一部にそのまま残して作られるのだけど、
トラベラーズファクトリーは、その煉瓦造りの
古い建物の中にオープンする。
永い時を経てきたことが分かるコンクリートの
柱や壁などの歴史を感じる空間も僕らにとって
大きな魅力となった。

もちろん新しい店がまた増えることに加え、
今までと違って遠距離であることにも当然不安
があるし、来年春のオープンに向けて、
バタバタしてまだ手がつけられていないことも
超えなければならないハードルもたくさんある。

だけど、よくよく考えてみれば、いつだって
そうだった。
新しいことはいつも、トラベラーズノートが
導いてくれた出会いと僕らの直感によって、
必然性を伴った形ではじまるのだ。
本能が導くままに広大な海を迷うことなく
進んでいく鮭の旅のように、見えない引力に
導かれて僕らは旅を進めてきた。
そして、鮭が川の流れに逆らって全力で遡上
するように、数々の苦労を一緒に乗り越えていく
ことでチームの絆は深まり、強くなっていった。
そうやって辿り着いた新しい景色をみんなで
眺めながら感動を共有することで、
僕らの世界は大きく広がってきたのだ。

大切なのはワクワクすること。
今だって、僕ら自身がなにより京都からはじまる
トラベラーズファクトリーの新しい旅にワクワク
しているし、さらに来年の春、そのワクワクを
たくさんの人たちと分かち合えそうな予感に
心が震えている。
もちろんそのためにいろいろ大変なことは
あるけれど、そんな幸せなことを仕事にしている
ことに感謝しないといけないかもしれないな。

オープンまではもう少しありますが、
こちらでも途中経過を紹介していきたいと
思うのでぜひ楽しみにしてください。


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2019年11月11日

旅の道具

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「男はつらいよ」でおなじみのシーンがある。

例えば、寅さんが密かに恋心を抱いている女性に
恋人がいることを、ふとしたきっかけで知って
しまう。そうやって自分が失恋したことが
分かるとその瞬間、寅さんは2階の部屋にあがり、
トランクを手に降りてくる。
そして「旅に出るよ」とひとこと言って、
ぷいっと家を出る。
妹のさくらは引き止めようと追いかけるけど
「それが渡世人に辛いところよ」とか言って、
そのままテキ屋稼業の旅に出る。

その時の寅さんの旅装は簡素だ。
雪駄ばきにダボシャツ、ジャケットを
肩からひっかけ、頭には中折れ帽。
そんないつもと変わらない格好に、
荷物は片手で持てる革のトランクがひとつ。
その旅のスタイルはシンプルで一貫している。
だから思い立てば、いつでもすぐに旅立てる。

昔、寅さん記念館に行った時に、
寅さんのトランクの中身が展示されているのを
見たことがある。
中にはトイレットペーパーに蚊取り線香、うちわ、
花札、占いの本、何本かのペン、目覚まし時計、
手ぬぐい、ふんどしにシャツ、薬、便箋封筒、
髭剃りに櫛、ハサミが入っていた。

トイレットペーパーはロールのまま入っていたり
目覚まし時計がベル付きの大きめのものだったり
するのがいかにも寅さんらしい。
蚊取り線香は無人駅やバス停のベンチで寝て
夜を過ごす時に使うのだろうか。
さらに便箋と封筒は、旅先からよく便りを送る
寅さんの筆まめっぷりを想像させてくれるし、
髭剃りなどの道具はきちんと革のケースに入って
いて、身だしなみにはこだわっていた粋な人で
あったことを教えてくれる。

寅さんにとって、これらは旅の道具であるけど、
同時に展示のタイトルが示すように「全財産」
でもある。

旅の道具ってなんだろう。
例えば自分が旅に出る時のことをイメージ
してみよう。トランクを取り出して、
まずはシャツや下着などの衣類を入れていく。
次に歯ブラシに何種類かの薬、髭剃りや整髪料
などが入ったポーチ。
さらに僕は、本を数冊、カメラ、パソコンに
充電用のコンセント、そしてトラベラーズノート
に何種類かの筆記具が入ったペンケースを入れる。
だいたいそんなものだ。

どれも普段使っている道具と変わらない。
昔だったらコンパスとか双眼鏡なんかも
旅の必需品だったのかもしれないけれど、
旅が便利で簡単になった今では、旅の道具は
日常の道具でもある。
もっと言うと、手にする荷物が限られる
旅の道具は、ぎりぎりまで切り詰められた、
必要最低限の日々の道具でもある。

その選択基準はきっと人によってさまざまで、
例えば、僕は本に音楽を聞くための道具、
トラベラーズノートは欠かせないけれど、
ある人にとっては、それはラジオだったり、
ウクレレだったり、愛用の枕だったり、
一眼レフカメラとたくさんのレンズだったり、
油絵の具の画材一式だったりするかもしれない。

寅さんのトランクの中身がそうであるように
旅の道具は、その人が大切にしているものや
パーソナリティー、ライフスタイルを表すもの
でもある。

Wouldn't it be nice if each day was a step
in a journey with TRAVELER'S notebook?
トラベラーズノートとともに旅するように
毎日を過ごせたら素敵じゃないか。

先週リリースした Travel Tools コレクション
には、そんなメッセージを記している。
自分にとっての大切な日常の道具が、同時に
旅の道具でもあることを考えるとワクワクする。
旅の高揚感を日常で感じることができるし、
これらの道具を手にすれば、いつだって旅に出る
ことができると思えば、心が軽くなることだって
ある。

日々の生活を重ねていくことで、
僕らの身の回りには荷物が少しずつ増えていく。
さらに見えない荷物もまた少しずつ背中に
のしかかってくる。
もちろんそれらが与えてくれる喜びもたくさん
あるけれど、同時に重石のように体を縛り付けて
いくこともある。

Travel Tools コレクションに描かれた
旅の道具たちが、どこか懐かしくロマンチックな
イメージを想起させてくれるのは、これらの
道具とともに自由で軽快に旅をしている、
自分の在りたい姿を想像させてくれるからなの
かもしれない。

寅さんは、帰りたい時に家に帰り、
素敵な人に出会ったら思いの向くまま恋に落ち、
失恋したら潔くその人から去り、全財産でもある
旅の道具をトランクに詰めてふらっと旅に出る。
なかなか寅さんみたいにはできないけど、
そんな自由な旅にちょっと憧れる。

Remember, your suitcase is always waiting
in the corner of your room.
トランクは部屋の片隅に置かれ、いつでも
取り出せる。

活版ステッカーには、Have a nice tripと
記されたトランクの周りに、こんなメッセージ
が記されている。
早速僕は愛用しているMacBook に貼った。

旅の道具を手にすれば、いつだって旅立つこと
ができる。
ステッカーを眺めながら、かつて旅立つことが
できなかった旅人に、いつか旅立つチャンスが
やってくることを願った。


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2019年11月 5日

三連休

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出張だったり、イベントだったりで
ここのところずっと休みがなかったけれど、
3連休は久しぶりの休日。

土曜日は、鎌倉の光明寺で開催されている
材木座らくご会へ行ってきた。
Ko'da-Style のこうださんが、材木座らくご会の
主催メンバーのひとりということで、
お声がけいただき、足を運ぶことになった。

駅に着くと、まずは鎌倉の老舗カフェ、
ヴィヴモン・ディモンシュでコーヒー。
小腹が空いていたこともあって、ワッフルも
オーダーする。
苦味の中にほのかな甘みを感じる深煎りの
マンデリンに、ソテーしたバナナと
甘さ控えめの生クリームがのったワッフル。
店内には気持ちの良いボサノヴァが流れている。
まるでスタン・ゲッツのテナーサックスと
ジョアン・ジルベルトのヴォーカルのような、
コーヒーとワッフルの心温まるハーモニーを
心ゆくまで楽しんだ。美味しいなあ。

カフェを出ると、歩いて光明寺へ向かった。
駅前は朝の満員電車みたいに人で溢れていた
けど、裏路地に入ると歩く人も少なく
静かで趣のある古い街の風情が味わえる。
そんな中に点在する素敵なお店をのぞきながら
のんびり鎌倉散策をする。
しばらく歩き、狭い路地を抜けると、唐突に
視界に海が現れた。
この日はまさに秋晴れと呼ぶのにぴったりの
陽気で、太陽の光が海の波に反射して、
キラキラ光っているのが見えた。
その瞬間、僕の心はふわっと心地よく高揚した。

この海岸は、材木座海岸というのだけど、
何年か前に鎌倉市がその管理費用を賄うために
命名権を売りに出したことがあった。
その際、鳩サブレーで有名な豊島屋さんが
お金を払って、その権利を取得したのだけれど、
新たな名前をつけずに、材木座海岸という
地元の人から愛され、歴史のある名前をそのまま
残したそうだ。
そういう粋な計らいを知ると、嬉しくなる。

らくご会の会場、光明寺も鎌倉時代から続く
歴史あるお寺。近々耐震改修工事が行われる
ということで、すでに入り口の大きな門には、
全体を覆うように足場が組まれていた。
この工事は10年かかるとのこと。歴史ある
建造物を次の世代に遺していくのはやはり
大変なことなんだな。

さて、今回鎌倉に来た一番の目的は落語だ。
正直に言えば、今まできちんと落語を聴いた
ことはほとんどないのだけど、最近すっかり
落語にはまっている橋本がおすすめする
春風亭一之輔さんが出演するとのことで、
足を運んでみることにしたのだ。
そもそも春風亭一之輔さんの独演会は人気で
チケットを取ることも難しいようで、今回は
こうださんのおかげでチケットを入手できた。

そんなわけで前知識もないまま見たのだけど、
これがほんとうに面白かった。
まったくの素人なので、何が面白いかを書くのは
憚れるけど、様々な登場人物をひとりで臨場感
たっぷりに面白おかしく演じる姿は、まさに
話芸の魅力をぞんぶんに体感させてくれるし、
適度に差し込まれるテレビでは言えないような
時事ネタや毒もスパイスのように味わいを
深めてくれる。いやー、すごいなあ。
あっという間の2時間が終わると、新しい世界を
知ったワクワク感に心が満たされていた。

お寺を出ると外はもう真っ暗。
材木座海岸の砂浜に立つと海の向こうの空には、
半分以上欠けている月が、ぼんやり輝いていた。
その隣には明るい星がひとつ、月に寄り添う
ように光っている。
あの星がなんていう名前なのか、さりげなく
言い当てることができるくらい星の知識が
あったら素敵だろうな。

海沿いの食堂で、湘南の地物をおかずにした
定食を食べると、再び駅に向かって歩いた。
夜になると11月らしく少し寒さを感じできたので
ジャケットの前ボタンを閉めて襟を立てた。
だけどそんな冷たい空気に、少し遅い秋の訪れを
感じて、僕はちょっと嬉しくなった。

途中、商店街にぽつんとあったカフェで
コーヒーを飲んで一休み。こんな風に程よい
場所に気の利いたカフェがあるのが鎌倉らしい。
再び夜の静かな鎌倉を歩きながら、
僕は日々の忙しさを忘れ、穏やかな気持ちに
満たされていった。
そして、乾燥してひび割れた大地に降る
久しぶりの恵みの雨のように、僕の心に
親密さと温もりを伴った潤いを与えてくれた。
いい1日だったな。帰路、空席の多い電車に
乗りながらしみじみそう思った。


日曜日は、中目黒のトーキョーバイクへ。
オーダーしていたあのトラベラーズバイクが
できたので引き取りに行ったのだ。

オリーブカラーのフレームに、トラベラーズ
のロゴをベースにした真鍮のヘッドバッヂ。
やっぱりかっこいいな。
シートの位置を調整してもらい走ると、
漕ぎ出しも軽くていい感じ。
早速トラベラーズファクトリーに立ち寄って、
スタッフに自慢してお店の前で写真を撮ろうと
思ったけれど、お店はたくさんのお客さんで
混雑していて、そんな余裕はなかった。
もちろんそれはそれで嬉しいことなんだけどね。

中目黒から自宅までは約15キロ。
初ライドにちょうど良い距離だ。
途中、カフェでコーヒーを飲んだり、
銭湯に寄ったりしながら、距離を惜しむように
ゆっくり時間をかけて、新しいトラベラーズバイク
との初めての走りを楽しんだ。

さて、明日は何をしようかな。


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2019年10月29日

愛すべき繰り返し

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トラベラーズファクトリーもおかげさまで
8周年を迎えました。
なんだかあっという間のような気がするけど
振り返ってみると、そういえばいろいろなことが
あったなあ、としみじみしたりもします。

先週末は、金曜日に香港からパトリックが
やって来てイベントを開催。
土曜日には8周年記念イベントとして、
アアルトコーヒーの庄野さんと吉祥寺の
カレー屋さん、ピワンとのコラボカフェを、
そして日曜日には山田稔明さんのライブを開催。
とても濃厚な3日間を過ごした。

トラベラーズファクトリーを作って一番良かった
と思うのは、こうやって僕らが好きな人たちが
集まって、楽しく何かをやる口実ができたこと
かもしれないな。

パトリックは、トラベラーズノートを発売する前
からの付き合い。海外にトラベラーズノートを
拡げてくれた一番の功労者で、トラベラーズチーム
香港代表みたいな存在。
そんなパトリックが企画・デザインした、
マニュアルファクトリーベアーのコレクションを
ファクトリーで扱うことになり、それにあわせて
イベントをやろうと声をかけてくれて、急遽開催
したんだけど、国内外のトラベラーズノート
ユーザーが集まって、みんなでワイワイ、楽しい
時間を過ごした。
イベント後の打ち上げでは、パトリックと、
近況やこれからのことを時間を忘れて楽しく
話した。ふと時計をみたら、終電が近くなって
いて、あわてて帰った。

土曜日のトラベラーズブレンドとトラベラーズ
カレーのカフェにもたくさんの人が来てくれた。
ピワンが考案してくれたトラベラーズカレーは、
今回2回目。10種類のトッピングに、カレーも
2種類になって、さらにグレードアップして、
それはもうほんとうに美味しかった。
イベント後、ピワンさんは翌日の仕込みがあった
から参加できなかったけれど、庄野さんを囲んで
打ち上げ。
庄野さんもまた、トラベラーズファクトリーの
オープン前から付き合いがあるし、一番多く
イベントを開催してくれているトラベラーズ
チームのコーヒー部長のような存在だから、
話も当然盛り上がるし、お酒が大好きだから、
打ち上げも終電ぎりぎりまで続いた。

そして日曜日は、山田稔明さんのライブ。
山田さんとは、8年前のオープン直後に開催した
アアルトコーヒー庄野さんによるカフェイベント
に、山田さんが遊び来てくれたのが、出会った
きっかけだった。
その時、「聴いてみてください」と言って
僕らにCD「home sweet home」を渡してくれて、
聴いてみたら、あー好きだなと思って、
声をかけさせてもらって最初のライブが実現。
「home sweet home」に収録されている
「hanalee」という曲に「退屈な午後の屋上は
秘密基地、僕は心の旅に出る」というフレーズが
あるんだけど、まさに僕らが思うトラベラーズ
ファクトリーのことを言い当ててくれたような
気がして、ここでライブをやってもらえたら
素敵だなあと思っていたから、8年前、最初の
ライブでこの曲が聴けた時は嬉しかった。

それから毎年ライブを開催してもらっていて、
今回で9回目になる。
その間には、山田さんの愛猫が亡くなったり、
トラベラーズノートのことを歌った曲、
notebook songが生まれたり、
悲しいことも嬉しいこともいろいろあって、
年を重ねるごとに、共通の思い出が重なった。
今回も山田さんからのお声掛けで、オリジナル
リフィルの表紙のイラストをコラボで描かせて
もらったり、密かにリクエストした曲を感動的
なサプライズの演出とともに演奏してくれたり、
山田さんの盟友、高橋徹也さんが飛び入りで
参加して一緒に曲を演奏したり、
また新しい思い出が重なったライブになった。
それぞれのイベントに集まってくれたたくさんの
方々にも感謝です。

そしてライブ後は、ピワンさんに作ってもらった
トラベラーズカレーとともにトラベラーズ
ファクトリーの2階で打ち上げ。
山田さんに庄野さんと、この場所で打ち上げを
するのはもう何回目のことだろうか。
僕らが憧れ大好きな人たちと古くからの友人の
ように一緒に美味しいものを食べて、お酒を
飲めることの幸せをしみじみと味わった。
そして当然のようにこの日も帰りは終電
ぎりぎりになった。

「hanalee」には、「愛すべき繰り返し」
というフレーズも出てくるのだけれど、
続けていくことで、より深まり愛着がわいて、
かけがえのないものになっていくものもある。
8周年を迎えたトラベラーズファクトリーが
10周年、20周年を、また同じ仲間とともに
迎えられたら嬉しいな。


Wouldn't it be nice if we were older
Then we wouldn't have to wait so long
And wouldn't it be nice to live together
In the kind of world where we belong

一緒に年をとっていけたら素敵じゃないか。
その時が来たらもう待たなくてもいいんだよね。
そして一緒に生きていけたら素敵じゃないか。
僕らの場所で、ずっとね。

  "Wouldn't it be nice" by Beach Boys


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今回は横ですがクリックすると拡大します。

2019年10月23日

成都からの手紙

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拝啓、お元気ですか。
僕は今、中国西南部の都市、成都を
旅しています。
かつて、三国志の劉備玄徳が治めていた
蜀の都だった場所です。
人口1000万人以上のそれなりの大都市では
ありますが、上海に比べると時間の流れが
ゆっくりで喧騒も少ないような気がします。

まだここに来て2日しか経っていないのですが、
僕はこの街をけっこう気に入っています。

ここは四川料理の本場。
なので、ほとんどの料理には唐辛子がたっぷり
使われ、その見た目通りやっぱり辛いです。
辛さの中に「麻」と呼ばれる山椒の一種、花椒
による痺れるような辛味があるのが四川料理
の特徴なのですが、これが食べ続けるほどに、
だんだんと癖になっていきます。
この街に来てから毎食、四川料理なのですが、
他の食べ物が恋しくなることもなく過ごして
います。

今朝は、ホテル近くの食堂で担々麺をさっと
掻きこむように食べると、人民公園という
大きな公園にある茶座へ行きました。
茶座は、オープンカフェの中国版のような
場所で、屋外でお茶が飲むことができます。

歴史を感じる庭園の池のほとり、
飾り気のない木のテーブルと、それを囲むように
竹で組まれた椅子がずらりと並んでいます。
あるテーブルでは、本を読みながら
ひとりでゆっくりお茶を飲む老人が座り、
あるテーブルでは、何人かが賑やかに話をし、
またあるテーブルでは、言葉を交わすことなく、
それでもお互いをいたわり合っているのが分かる
老夫婦が静かに向かい合ってお茶を飲んでいます。
そんな姿を眺めていると、三国志の時代から
ずっと変わることなく同じ風景が続いてきた
のではないかと、想像してしまいます。
僕らは池のほとりに席を取り、
仕事の打ち合わせをしながら、ひまわりの種を
つまみ、お茶を飲みました。
少しひんやりする秋の朝の穏やかな空気は、
じわじわと僕の心をこの土地に馴染ませていき、
旅の時間が日常になっていくような感覚が
湧き上がってきました。

街を歩いていると、ライトアップされた
巨大な高層ビルの隣に、洗濯物が窓の前に並ぶ
雑居ビルがあり、さらにその1階には、美味しい
エスプレッソコーヒーを飲むことができる
おしゃれなカフェがあるのを見つけたりします。
そんな風に様々なライススタイルが分け隔てなく
渾然一体になっているのも、この街の面白い
ところです。
また、古都らしく三国志の時代からの歴史を
感じる街並みや、清の時代から変わらず残る路地
を歩くこともできます。

この街のお店、カフェのオーナーや、ホテルを
運営する方々と話をすることができました。
みんな高い志がありながら、気負いや尊大さを
まったく感じさせない穏やかな人たちばかりで、
いつかこの土地の人たちと何か一緒にできたら
いいな、と思っています。

そういえば成都は、パンダの研究基地が
あることでも有名で、僕らも足を運ぶことが
できました。
ここには、100頭以上のパンダがいて、
上野動物園でよく見るような眠っているパンダ
だけでなく、歩くパンダに、木に登るパンダ、
食事中のパンダ、じゃれあうパンダなども見る
ことができました。
あらためてパンダをじっくり眺めてみると、
その仕草の愛おしさに心が和みます。
寝っ転がって竹の子をバリバリと食べたり、
足でお腹を掻いたり、もしも人間がやったら
だらしないと一喝されそうなことも、
パンダがやると、たまらなく愛らしい。
その姿に心を奪われつつ、いつも君に
だらしない振る舞いを指摘されていた僕は、
ちょっとだけパンダに嫉妬をしてしまいました。

この街の遊牧民をテーマにしたホテルの部屋で、
ふと君のことを思い出し、備え付けのメモ用紙を
便箋にしてこの手紙を書きました。
下手な字でつらつらと成都のことを書き綴って
しまいましたが、僕は元気にやっています。
それでは、また旅先で会えるのを楽しみにして
います。さようなら。


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2019年10月15日

In an octopus's garden

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皆さま、台風は大丈夫でしたか?
台風が関東に上陸した10月12日、
トラベラーズファクトリーは、中目黒、
エアポート、ステーションの3店舗すべて
お休みをいただきました。
エアポートとステーションは年中無休なので
すべての店舗が休みとなるのは、2014年に
エアポートがオープンして以来はじめてのこと。
それだけ特別な事態だったんですよね。

その日、僕が住む場所では川の氾濫が迫り、
夕方から夜にかけて何度も携帯電話からの
警報が鳴り響いた。
その音を聞きながら、そういえばこの辺りは
海抜ゼロメートル地帯と呼ばれ、水害に弱い
ことを昔小学校で習ったのを思い出した。
夜になると何度か一瞬電気が止まり、
いよいよ停電かと覚悟を決めたりもしたけど、
結局、川の決壊も停電もなく、無事台風は
過ぎ去っていった。
きっとその裏には、たくさんの人たちの日々の
努力や工夫に、現場での苦労があったんだろうな。

その後、台風による多大な被害が各地であった
のをテレビのニュースを見て知った。
そこに住む方と自分との違いは、紙一重でしか
なかったことを思い、心が痛んだ。
被害に遭われた方々が、1日もはやく普通の
日常を取り戻すことができるのを祈るのみです。

ここ最近、いろいろなことが怒涛のように
押し寄せて、ちょっと心がへこたれ気味だった
けれど、何よりも普通の日常が送れることに
感謝しないといけないですね。
どんなことも、生きるか死ぬかという状況と
比べれてしまえばたいしたことではないのかも
しれないな。


9月はじめから、村上春樹の長編小説を
読み返している。デビュー作の『風の歌を聴け』
から読み始めて、『1973年のピンボール』、
『羊をめぐる冒険』という風に出版された順番に
読んでいき、今は『1Q84』BOOK3の途中。
ぜんぶ既に読んでいるのだけど、本はどれも手元に
残っていなかったので、再び買って読んでいる。
彼の本はたいていブックオフの100円コーナーに
あるから、買うのも苦にならない。
それに内容はほとんど忘れてしまっているので
はじめて読むような気分で読むことができる。

何より彼の小説は読みやすく、次の展開が
気になるので、心に悩みや雑念があっても、
すっとその世界に入ることができるのが良い。
物語のパターンはだいたい一緒だ。
登場人物は孤独を抱え、喪失感に襲われている。
そんな自分を冷めた目線で眺めながらも、
生きていくための理由や理想をつかもうと、
現実世界とメタファーの世界を行き来しながら、
旅に出たり冒険をしたりする。
その過程で悲しみや困難があっても、
登場人物はうろたえることもなく常にクールに
すべてを受け入れ対処していく。
そして、最後は生きていくための理由や理想が
手に入れられたのか分からないまま、それでも
ささやかな希望を読者に感じさせてくる。
もちろん隠されたままのメッセージや、
読み取ることができないメタファーも
たくさんあるのだろうけど、読んでいると
少し救われたような気分になるのだ。

僕にとって、トラベラーズノートは、
書くための道具であり、現実の仕事でもあるのと
同時に、『1Q84』に描かれた月がふたつあり、
リトル・ピープルがあらわれるようなメタファー
の世界でもある。
使い込んで味が出たトラベラーズノートは、
年をとることをポジティブにし、長く寄り添う
ことで愛着が深まることを比喩的に教えてくれる。
カスタマイズされたトラベラーズノートが何冊も
積み上げられた姿は、人はそれぞれみんな違って
孤独であるけれど、孤独もまた共有できることを
示唆してくれる。
僕らはトラベラーズノートを作って販売し、
利益を得ることを生活の糧としながら、
そこから生きていくための理由や理想の世界を
探し、何かをつかみとろうとしている。
僕らはトラベラーズノートに深く関わりながら
『1Q84』の天吾や青豆のように、現実の世界と
メタファーの世界を行き来して冒険の旅を
しているのかもしれない。
いつもうろたえてばかりで、あの二人みたいに
クールには対処できていないけどね。

人と完全に分かり合うことなんでできないし、
現実は時には残酷で、夢は儚く消えてゆく。
人生という旅は、村上春樹の小説のみたいに
孤独に満ちているし喪失の連続だ。
だけどトラベラーズノートもまた、そんな時に
ささやかな希望を与えられる存在でありたい
と心から思っている。

そういえば、前に自転車で転んで腰を打った
ことをここに書いたけれど、それから何度か
「腰は大丈夫ですか?」とか「大変でしたね」
と言われ、そんなつもりはなかったけれど
同情してもらうために書いたみたいで
なんだか申し訳ありません。
あれから3週間。腰の痛みもだいぶ治りました。
10月になって気温も下がってきたけど、
靴下も履けるようになったから寒さに震える
こともありません。もう大丈夫。元気です。

今月はトラベラーズファクトリーの周年月間です。
8周年缶は無事完売になりましたが、
10月26日は、アアルトコーヒーとピワンによる
トラベラーズブレンドとトラベラーズカレーの
夢のコラボレーションカフェを、27日には
山田稔明さんのライブも開催します。
8周年のノベルティーバッグにスタンプ
登場します。まだまだ旅は続きます。
皆さまもぜひお付き合いいただけると
嬉しいです。


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2019年10月 7日

ニコンF

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フィルムカメラを譲ってもらった。
ニコン初の一眼レフカメラとして作られ、
1959年から73年まで生産されていたニコンF
というカメラだ。
当時、撮影品質の高さと堅牢性が高く評価され、
報道カメラにもよく使われていたそうだ。
カンボジアで消息を絶った戦場カメラマンの
一ノ瀬泰造氏も愛用していて、その遺品に弾丸が
貫通したニコンFが残っている。
譲ってもらったのは、露出計が付いている
モデルで、僕が生まれる2年前の1967年に
発売されていたらしい。
ネットで調べてみたらこんなページもあった。
往年のロックスターたちも愛用していたようだ。

角ばった重厚なデザイン、金属パーツを多用した
アナログのメモリやダイアル、ずっしりした重み。
カメラを手にするだけでワクワクしてくる。

最近は、かつてはいつも持ち歩いていた
デジカメGRですら、ずっと家に置きっぱなしで
写真撮影はもっぱらiPhoneだけという状態に
なってしまっている。
いつもポケットに入れているし、気軽に簡単に
撮影できるし、画質もそこそこいい。デジタル
だから後で修正も可能。確かにiPhoneは
カメラとしても便利ではあるけれど、
その分、写真に対する思い入れみたいなものは
すっかり薄くなってしまっていた。

そんな中、重くてさばるし、撮影も面倒、
まさにiPhone内蔵のカメラとは対極にある
ニコンFを手にした時に、忘れかけていた写真に
対する興味が一気に湧き上がってきた。

このカメラには露出計が付いているけど、
動かない。そのため撮影時には露出を計る
必要がある。
まずはiPhoneに露出計として使えるアプリ
があるようなのでダウンロードした。
そのアプリを使って露出を測り、
絞りとシャッタースピードをセット、
ファインダーを覗き、ピントをあわせて
シャッターを切ると、カシャッという
小気味よい音がした。
どんな写真が撮れたのかは、その時点では
一切わからない。

だけど、デジカメ登場以前はそうだったのだ。
旅から帰り、どの街にもあった現像屋さんに、
フィルムを持ち込み、焼きあがった写真を
ドキドキしながら見るのは旅の楽しみのひとつ
だった。

今だったら、リアルタイムでインスタにアップ
して、それを世界中の人が見ることができる。
それはそれで便利で素晴らしいことなんだけど、
この時代にアナログの代表とも言えるノートを
作ることを生業にしている僕らは、時代の流れ
とは逆行するようなアナログの世界に魅力を感じ、
惹かれてしまうのだ。

万年筆や鉛筆を手にノートに向かうことで、
書いたり、描いたりすることの意味を、
より深く考えるようになったように、
無骨で面倒なフィルム一眼レフカメラを
手にすることで、写真を撮るということに
真摯に向かえるような気がした。

ロバート・フランクは、スイスからやってきた
移民の視点で、アメリカを旅して市井の人々の
現実の生活を切り取った。
昨年トラベラーズファクトリーで写真展を開催
してくれたハービー山口さんは、ロンドンに住み
そこでミュージシャンたちと出会い、彼らを
愛ある視点で撮影することで、世界と向かい合う
きっかけを手にした。
星野道夫氏は、アラスカの大自然に身を浸し、
その風景を撮影することで、失われていく
人々の記憶を呼び覚ましていこうとした。

僕はこのカメラでいったい何を撮ればいいの
だろうか、ふとそんなことを考えた。
もちろん、プロフェッショナルの写真の偉人たち
と比べる気なんて全くない。そんなことを考えず
美しい風景や感動する場面に出会ったら、
ただシャッターを切ればいいのかもしれない。
だけど、技術も経験もない僕が、あえて
フィルムで写真を撮ることに立ち向かうには、
ちょっとでもそこに意義みたいなものがないと
続けられないような気もする。

結局、僕が人に誇るべきことも、
心から打ち込めることも、トラベラーズのこと
くらいしかないので、トラベラーズノートや
トラベラーズファクトリーを通じて出会った人
や風景、トラベラーズノートとともにした旅を
撮影していくのがいいのかな。
それはきっとフィルムカメラで切り取る価値の
あるものだと思うし、僕が撮るべき意義もある
のかもしれない。
もしこれを読んでいる誰かに、僕がカメラを
向けることがあったら快く被写体になって
いただけると嬉しいな。

現在、トラベラーズファクトリー中目黒の
2階では、The Superior Labor 代表の
河合さんが主宰するハチガハナ写真クラブの
写真展を開催中です。彼らが暮らす岡山県の
山中にあるハチガハナの自然の中の風景や旅先で
出会ったシーンを切り取った写真は、すべて
中判カメラで撮影した真四角のもので、
眺めていると、その旅を想像させてくれます。
10月21日まで開催していますので、機会が
あればぜひご覧ください。
河合さんありがとうございます!


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2019年9月30日

怪我をしたり、楽しかったり、感動したり

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子供の頃、よく怪我をした。
特別活発だったり、スポーツをしていたわけ
でもないに、骨折をしたことも何度かあった。
その中でも一番記憶に残っているのは、
小学3年生の時に、鎖骨を折った時のことだ。
鎖骨は首の付け根から左右の肩に伸びる骨で、
転んだ時、アスファルトの校庭にダイレクトに
打ち付けてしまい、骨折してしまった。

すぐに病院に連れていってもらい、
骨継ぎのためにぐいぐい体を引っ張られたり、
押したりされると、それがそうとう痛かった
ようで、失神状態になってしまった。
その後、病院に行くたびに、僕は治療中に
失神してしまったひ弱な少年という視線を
医者や看護師からも感じて、それはちょっとした
コンプレックスのような感情を僕に抱かせた。

診察の時に、なぜかいつも担当の医者から、
今日は朝、何を食べてきたかと聞かれた。
その頃、僕の家では、ラーメンやお茶漬けが
よく朝食に出されていた。
今思えば朝食としては、変わっていたのかも
しれないけれど、僕はどちらも好きだったから、
当時は何の疑問も持っていなかった。
だから正直に食べたものを言うと「そんなもの
を朝から食べているから、元気が出ないんだぞ」
といつも医者に言われ、そのたびに僕だけでなく
母親も否定されたような気分になって傷ついた。
ある日、パンと答えたら何も言われなかった
ので、それからは何を食べても、パンと答える
ようになった。
そんな風に自分を守るために、つまらない嘘を
言い続けることもまた、僕を傷つけた。
心が悲しみで覆われている時に元気なふりをする
のは辛いけど、自分では元気だと思っているのに
そう見えないのも、少年時代の僕にとっては
それはそれで悲しい気分にさせた。

激しい痛みを感じたり、長期間片手しか使えず
に困ったことあったと思うのだけど、それよりも
小学3年の時の鎖骨骨折は、切なさや悲しみを
伴った心の痛みとともに記憶に刻まれている。

先週の月曜日、秋分の日のこと。
最近休日のたびに通っている銭湯からの帰り道。
自転車で家に向かっていると、信号のない交差点
で出会い頭に車にぶつかってしまった。
お互い直前にブレーキを強くかけていたので
激しい衝突ではなかったけれど、僕は自転車ごと
倒れてしまった。
すぐに車の運転手も降りて、「大丈夫ですか」
と声をかけてきた。背中を打ち付けたようで、
しばらく痛みでうずくまっていたけれど、
だんだんとそれもおさまってきたような気が
したし、自転車も問題ない。
僕は、運転手と連絡先だけ交換して、そのまま
自転車に乗って帰った。

家で座って晩御飯を食べて、立ち上がろうと
すると、激しい痛みを腰に感じた。
さらに夜寝ていてもそれは続いたので、次の日
会社を午前休にして、病院に行ってみた。
すると圧迫骨折と診断され、お尻に痛み止めの
注射を打たれたら、コルセットを付けられ、
しばらく安静にするようにと言われた。

ただ、とりあえず歩くことはできるし、
立ったり座ったりしている時は、それほど
痛みもないので、午後には会社へ行った。
それ以来、無理な動きをしたり、重いものを
持ったりしないようにしながら、なんとか仕事
も続けている。
ただ、腰を曲げらないので、あれから靴下を
履くことができない。でもこの季節は靴下を
履かないまま過ごしても、それほど問題がない
ことにも気がついた。

そんな中、先週の金曜日に、
スターバックスリザーブロースタリー東京で
AMU TOKYO コーヒージャーニー ×
スパイラルリングノートバイキングを開催。
僕はコルセットを腰に巻き、靴下も履かずに
参加した。

朝の8時30分に会場入りし、準備をはじめ、
リザーブロースタリーのあの素晴らしい空間に、
お皿に載せたたくさんの紙が並ぶと、
僕らの気分は一気に盛り上がった。
そして10時の開始時間になると、すぐに会場は
たくさんの笑顔でいっぱいになった。
ノートバイキングの後には、3種類のコーヒーの
テイスティングの体験をご用意してくれ、さらに
コーヒーの味を記録できるコーヒーカードを製作。
コーヒーを飲みながら、できたばかりのノートを
眺めたり、味をカードに書き込んだり、皆さん
ゆっくり時間を過ごして、楽しんでいたのも
印象的だった。

今回、僕らが何よりも感動したのは
スターバックスリザーブロースタリーのスタッフ
たちだった。
ノートバイキングやトラベラーズのことを僕らと
同じように、お客様に愛情たっぷりで説明し、
同時にこの状況を楽しんでくれている。
途中で1階で販売しているコラボ商品を会場でも
購入できるよう移動したり、混み合っていた
カスタマイズコーナーを広げるためにレイアウト
を変えたり、よりお客様に喜んでもらえるように
常にアップデートを考えている。
またたくさんのスタッフがお客としてノート
バイキングに参加して楽しんでくれたり、
トラベラーズノートを使ってくれている方も
たくさんいて、僕らの作るものを真摯に理解し
その上で一緒にお客様に楽しんでもらいたい
という気持ちがスタッフ全員から伝わってきた。
スターバックスリザーブロースタリーが醸し出す
温かく親密な空気は、やっぱりそこにいる人たち
と、そこに関わるすべての人たちが作っている
ということをあらためて実感できた。
そして、彼らとコラボレーションをしたり、
一緒にワークショップを開催できることを
あらためて誇りに思った。

この日、ここに参加してくれた皆様、そして
スターバックスリザーブロースタリーのスタッフ
の皆様、ほんとうに楽しい時間を過ごすことが
できました。ありがとうございました。
ぜひ、これからもよろしくお願いします!

子供の頃の鎖骨骨折は、悲しい記憶とともに
僕の心に刻まれているけれど、今度の圧迫骨折は
そうならないように少しでも嬉しい記憶を
積み重ねていきたいな。そんなことを思いながら
この日の楽しい時間の記憶を心に刻んだ。


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(株)デザインフィルでトラベラーズノートの企画を担当している飯島です。